日々の雑感〜環境アセスメント〜豊洲移転問題と日本コロムビア川崎工場跡地

豊洲の土壌汚染問題で使われる「環境アセスメント」という言葉が公にパワーを持ったのは21世紀に入ってから。70年代の公害問題などは論外に酷い状況でしたが、それ以降も環境問題というのはけっこうユルユルな取扱いだった気がします。実際、築地の豊洲移転を考案した人物にしろ、移転を決定した石原都知事にしろ、世間にしろ、土壌汚染問題をいまほどに深刻には考えていなかったフシがあります。

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2004まで日本コロムビア川崎工場に掲げられていたネオン塔

先日、諸用で久しぶりに京急大師線港町駅に降りる機会がありました。15年ぶりくらいでしょうか... 当時、駅裏手の日本コロムビア川崎工場・研究部にはなにかと足を運ぶ機会があってこの駅を使っていましたが、駅のプラットホームからの景色はまったく様変わりしておりました。

2000年当時、外資リップルウッドが株式の大半を保有することになった日本コロムビア、もともと音響ブランド「DENON」にしか興味がなかったリップルさんは、採算性の悪い音楽制作・営業・技術開発部門の人員切り捨てに邁進、新規事業開発なんぞ辞めてしまえという号令でジブンも去ります。そして川崎工場のCD/DVDプレス工場も当初から処分目論見の対象で、早くから川崎工場跡地の売却計画が進んでいたことを後から会社OBから聞きました。

 

川崎工場2016

現在の京急港町駅裏

 

川崎工場1990

1990年当時の日本コロムビア川崎工場

 

「重金属・水銀まみれで右から左には売却出来ないんだよね」

そんな事もあってなかなか売却話は難航していたような記憶が最後でしたから、現在の工場跡地が保育園や病院、マンションシティーに変わっているのに驚いた、というより最近の豊洲土壌汚染問題がすぐさま頭に浮かんで「ちゃんと土壌汚染対策したんだろうか...」とか「ちゃんとマンション入居者には履歴告知したんだろうか...」とか考えてしまいました。

杞憂にすぎない話であればいいし、風評被害のバラ巻きと言われると心外ではありますが、昨今の豊洲問題ですから...

そう言えば栃木県真岡市にあったコロムビアマグプロダクツ工場跡地も局所的には極めて土壌汚染が激しいと思われる土地でしたが、現在はショッピングモールに変わっています。以前そんな風景を眺めたときは「あぁ無くなったなぁ...」くらいにしか思いませんでしたが、現在の「環境アセスメント」基準に照らせばなかなか問題満載な工場だったとも言えます。

CMP2016

現在の栃木県真岡市台町付近

 

CMP1975

コロムビアマグネプロダクツ工場
(1975 旧コロムビア機器)

※1996年会社解散当時との大きな違いは、未だ左下に
磁性塗料コーター棟が存在しないことです。