教科書は厚いほうがよい!? 池田賢市/中央大学文学部教授〜本日の関心記事

ウチのつれあいは算数が苦手です。どのくらい苦手かというと「68足す24は?」と尋ねてみると「.....何だって?」というくらい。もちろん余裕を持って時間を掛ければ答えられるのですが、算数に関しては脳の瞬発力がありません。ところがこんなことはよくある話だとワタクシが知ったのは割と最近で、こんなことは「誰でもジブンと同じ程度以上には出来るハズ」という旧来からのジブンの思い込みを改めさせることになりました。相手に対して「出来て当たり前」という思い込みがあるから「腹が立つ」ということも起こりえるのですが「相手に対して過分の要求をしているかもしれない」「思う以上に多様である」を前提に考えればほとんどのコトに寛容になれます。

教科書は厚いほうがよい!?

 大学に限らず、本来、勉強とはこういうものなのですが、わたしたちは「学力」に関しては一律の基準を当てはめようとします。その場合、点数として 見えることが重視されます。英語80点、数学60点……しかもそれらの点数の合計や平均点で判断しようとします。しかし、英語と数学の点数を「たす」こと にどんな意味があるのでしょうか。というより、たせるのでしょうか。平均70点ということに何か意味があるでしょうか。日本での議論では、いったんなんら かの数字が与えられると、それをもとにいろいろな科学的操作をして分析・解析していきます。しかし、そもそも元の数字の科学性は担保されているのでしょう か。いろんな組み合わせで80点という数字が出ているのであり、またどの子にとっての80点かによってその意味は大きく変わってきます。学力の中味をもっ と丁寧に見ていかなくてはなれません。そうでなければ、「個性」も「自由」も意味をもってきません。

 わが家には猫が10匹います。犬を4匹飼っている家もあります。「平均7匹ですね」と言われても意味がわかりません。「ミミズ3匹と蛇10匹より も1匹多いですね」と言われても、ますます混乱します。英語と数学の点数を「たす」のも、本来はこれと似たようなことなのです。

 

ウチのつれあいが算数が苦手な理由はまさに上のような理由(「りんご3個とみかん2個があります。全部で何個でしょう」という難解、りんごとみかんにこだわったんで...)で、小学生の頃に算数の教師ともめたあげく「バカじゃない!」と教師から言われてへそを曲げたからなんだとか。教師もサラリーマン化して久しいですが、池田さんのような算数の先生だったらもうすこし算数で悩まなかったかもしれません。