福岡・長浜屋台が風前の灯火だと言う〜豚骨ラーメンという食べ物に思う

いまでは全国区・ラーメン文化に欠かせない豚骨スープですが、80年代はまだ関東圏で豚骨ラーメンは”クサカモン”扱いで、リンガーハットの長崎ちゃんぽんに入って廻りを見回すと”醤油ちゃんぽん”なる気持ち悪いモンを頼むお客様ばかりでした。

いまではさいたま市にも「博多・長浜」を掲げる豚骨ラーメン店はたくさんあって、中でもウチのつれあいが「絶対行かん!」と言う”クサカモン”なお店が「博多長浜ラーメン 楓神」本格的というか、最近の福岡・博多の豚骨ラーメン店でもあまり見かけなくなった(臭わなくなった?)かなり匂い深い類の豚骨スープが特徴なお店です。

この”クサカモン”なお店の好き嫌いは置いといて...ジブンにはこのお店が「博多長浜」を掲げるのはどうしても解せない、と思ってしまいます。

福岡・長浜屋台が風前の灯火だと言う

「博多ラーメン」とは一線を画すと言われる豚骨・極細麺系「長浜ラーメン」、その発祥の地、福岡市・長浜地区の屋台が風前の灯火だと言う。現在営業するのは4軒のみで一時期15件以上でにぎわった「屋台街」には程遠い状況で、東側の繁華街・中洲屋台の賑わいに比べて、西側の下町・魚市場に面する長浜では観光客の足も遠いらしい。

廃れる起源となったのは、2013年に施行された屋台基本条例とされており、昔ながらの屋台商売の流儀がたちいかなくなったとされています。だから「博多長浜ラーメン」と掲げる楓神さんには福岡の地元からエクスキューズのうんちくが聞こえてきそうです。

 

福岡・博多の豚骨ラーメン

豚骨ラーメンにしろ博多うろんにしろ、戦後焼け野原の市内が復興する労働の合間をぬってかき込む安価なファーストフードな側面・位置づけが強かったと聞いています。だから素うどんがメインであり、豚骨ラーメンに載せられる具材も出汁抜け”極薄チャーシューに紅生姜と海苔1枚”と簡素なイチオシが昭和なスタンダードでした。

いまの「長浜ラーメン」がどれほど美味いシロモノなのか、永らく福岡を離れているジブンには知る由もありませんが、昔々の遠い記憶の中の「長浜ラーメン」にそもそも格別美味しかった記憶はありません。ジブンが「長浜ラーメン」によく連れて行かれたのは昭和30年代後半の幼少期、グルタミン酸ソーダの魔法の粉に薄めの豚骨スープをそそいで、さっと湯にくぐらせた極細麺を入れtて出来上がるのが「長浜ラーメン」、早朝の市場で働く労働者向けに提供されていたからか、朝方濃いめで夕方には薄めという甚だしく味変するラーメンでもあったと言います。(さすがにジブンではそこまでの記憶は無いです)

昭和20年代後半に旗揚げされた「長浜ラーメン」と同時期に開店の当時の近所、六本松にあった「僕の家」にはパチンコ帰りの親父に連れられて週2くらい食べてた気がしますが「オレンジ色の大判”味の素”缶」が真ん中にどっかり置かれてたのが忘れられません。フツーのラーメン屋でも豚骨スープの濃さと味わいが違う程度で、1970年代の十代後半まで日常的に食べ慣れた福岡・博多の豚骨ラーメンとはそんなシロモノでした。

昭和30年代、博多の豚骨ラーメン店には欠かせない調味料でした

幼少期のジブンの記憶にある「長浜ラーメン」の基準で言えば「チャーシューが美味い」時点でそれは「長浜ラーメン」ではないのでは?と疑わしく「こってり豚骨スープ」なハズもないワケですが、食材・調味材を重層化したグルメなラーメンがもてはやされるのは時代的にはきわめて正常進化な気がするし、昔ののれんをブランド化して復古的に扱うのも21世紀のトレンドです。還暦過ぎの古いヒトの記憶に染み付いた味とはかなり違っていてもなんの問題もありません。

博多ラーメン・長浜ラーメンをディスった様な記事になりましたが、懐かしい味に変わりはありません。モチロン現在営業されてる豚骨ラーメンは当時と比べようもなく手が混んでるし、万人向けに工夫されていたりします。