大昔のバイク改造事始め備忘録〜HONDA CY50、KAWASAKI KS125、KAWASAKI 250TR...

所ジョージの世田谷ベース vol.46の見開きに登場するKAWASAKI 250TR(F8)を書店で見かけて随分と大昔に関わったバイクのことを思い出しました。

「所さんのバイソンカスタム計画」「往年のモトクロッサーに仕立てよう!!」「伝説のマシン“F81M”のディテールに迫る」なんてのは80年代の一時期相当考えて、着手一歩手前まで行った思い出と重なります。

そこで...大昔のジブンのバイク改造事始めを思い返してみました。

マーレ製ハイコンプピストンを使ってボアアップしてKLX250Aの輸入部品を組み込みガタガタになるまで走り回ったKAWASAKI KL250A3、POWROLL製ストローカークランクに70mmボアのハイコンプピストンで排気量を245ccまで拡大させ、ハイカムでヘッド廻りも強化、ダッシュ加速に特化させたインナーローター化...まで弄り倒したレース用HONDA XR200R、80年代は何かとバイク改造が面白かった時代です。

さかのぼって考えればそんなバイク改造事始めは、小学生の頃の自転車改造から始まりカワムラ ダイバーをベースに15段変速化、油圧サポートの前後同調ブレーキ、ラジアルタイヤ装着なんて他の自転車メーカーの装備品を部品購入して組込むという 小学生らしからぬ機能追求と資金投入で楽しんでいたのですが、最初のバイク改造はおおらかなモンでした...

 

改造事始め初号機 HONDA CY50

1974年当時、16歳で原付免許を手にして乗ったバイクは、HONDA CY50、通称「ノーティーダックス」でありました。ホントはカブでも転がっていないか...な気分でおりましたら、近所の自転車屋にふらっと立ち寄ったとき販売店向けの2色刷りメーカー販促チラシが目に入り(ネットを探しまくっても見つからない)それがダートの急坂を勢いよくハーフスタンディングで荒々しく駆け上っていくオフローダーなイメージ刷りだったのですよ。まぁこれがイタく気持ちを揺さぶりまして中古車探しに没頭、オレンジが好みではありましたが、親父がモスグリーンの程度の良いのを見つけてくれて二もなく勇んで購入と相成りました。

小学生時分の新聞配達で貯めた軍資金を中学時代に散財せずに取っておいたもののまるで足らず、そんなとき親父がポンと買ってくれたCY50です。あとにも先にもこれっきりの大枚プレゼントでした。マッハIIIの白煙に憧れたマセたガキんちょ時代の夢が動き始めた時でありました。

しばらくは県境を超えて日帰りできるギリギリまで遠出したりしてましたなぁ...

しかしながらCB50のデチューン(6PS→4.5PS)で小径タイヤなもんでスピードは出ないし、たぶらかされたメーカー販促チラシみたいな力強さはないワケ。

これはなんとかならんのだろうか...と自転車をいじり倒した小学生だった頃の勢いが蘇り、とにかくCB50系縦型エンジンなんだから...とキャブレターとカムシャフトをCB50のモノと入れ替えてみるくらいはすぐ思いつくワケです。

「販売店に頼めばメーカーパーツは手に入る」とは小学生の頃に自転車改造で覚えた知識。福岡市・祇園にある西京ホンダにパーツを発注に行くと...メカニックの人が「バラすんだったらパッキンとかこいつもいるぞ」とか言い出して、パーツリストやサービスマニュアルの存在を初めて知る16歳でした。いまからいじり倒そうとしている小僧に「組んでうまく回らなかったら知らないよ」と販売店の兄ちゃんは言いながらも「キャブは変えなくてOKだから、エンジン掛かったら一度持ってきな」と粋な対応してくれたのは、その後のぼせ上がっていろいろバイク改造にのめり込む旗振り役となりました。

 

KAWASAKI KS125〜着想実現は15年後

そんな事をしてもいっとき経てば原付バイクなぞではおもしろくなくなるワケで、1年も経たずに自動二輪免許を取得、次のバイクに乗り換えて行きます。候補はHONDA SL250S、KAWASAKI 250TR を考えておりましたら、一緒に出掛ける友人達が原付2種の125cc でしたし、ジブンでまかなえる費用も限られておりましたから経済性も考えて選択したのが...

高校生の頃はバイトしても常時金欠、遠くに出掛けるガソリン代と消耗部品に消えて行き、Newタイヤなんて履いたこと無くてバイク屋の解体部品からまだ使えそうなヤツ剥がしてジブンで組んで走っておりました。

小排気量の4ストはすぐに飽きそうだしSUZUKI TS125、YAMAHA DT125はちまたに溢れる人気車だったし...はじめから妙な企みもあって(実現するのはずっと後なのですが)KAWASAKI 125TR (KS125)を選択することに...

事前の下調べに当時福岡市野間本町にあったKAWASAKI販売店に出入りし、1974年のKAWASAKI 125MX (KX125A)とのパーツ互換性があることは解っておりました。

 

シリンダー・ヘッド廻りとロータリーディスクバルブを交換して燃調するだけでもそこそこのパワーアップが見込める(14PS→?〜22PS)はずと踏んでおりました。

この頃は知り合いのHONDA CB550やCB750、SL350、SUZUKI GT380なんかを借りては乗り回す日々でもありましたが、マルチシリンダーエンジンにはいまひとつ所有欲を持てず現在に至ります。

 

未遂に終わったKAWASAKI 250TR、350TR化

2台めの購入候補に挙げていたKAWASAKI 250TRは、350TRのボアを80.5→68㎜に縮小(共に68㎜のストローク)して出来上がったモデルで、お手軽に350ccにスープアップできるコトは昔から知っておりましたが、それまで実際に350TRに乗った経験はありませんでした。

80年初頭のある日、車検切れのまま放置され所有者が居なくなったKAWASAKI 350TRに出くわし試してみると...10年以上前に「デュアルパーパス」と呼ばれていた恐竜はオールドタイマー以外の何物でもなかったのですが、怒涛の低中速トルクで当時の最新4st 400クラスをちぎり、160kmフルスケールのメーターを振り切らんばかりの勢いで加速するのにはやられました。

夏休みに北海道を巡る計画を立てていましたから、KAWASAKI KS125に代わる相棒探しの最中、近所のヤマハ中古車店に超格安で転がってるKAWASAKI 250TRを見つけて「ニコイチするか」とかかなり考えこんだモンです。ただ燃費が相当悪かった(リッター10数km台)のと、時代はすでにオフロードバイクのイノベーション真っ只中、またたぶらかされるんです。行きつけの北多摩モータースにふらっと立ち寄ったとき販売店向けの2色刷りメーカー販促チラシが目に入りKAWASAKI KL250A3が発売されると...即決で注文してしまいました(笑)

放置されていたKAWASAKI 350TRは知り合いにドナドナされ、10年後に復活することに、さらにそのころ発売されたばかっ速いYAMAHA RD250も同じように350化が比較的容易で、友人の改造を手伝っておりましたなぁ...そしてKAWASAKI KS125改造計画は着想から15年後、奇跡的に入手できた当時のパーツを使い友人の手によって実現しております。「ビッグシングル・オフローダーへの誘惑」は20年後HONDA XL500Sを所有するに至るのですが、所詮オフロードで振り回しきれない代物でしたから、それはHONDA CB250RSのエンジンスワップに使われて...と流転して一時期を過ごしたことがあります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

お金や情報が潤沢になるに従い深みにハマっていった”バイク改造〜レストア”という趣味ではあるのですが...振り返れば、それも他愛ない事始めのワクワクには及ばないのだなと年寄り臭い想いがよぎります。

だからなのかもう何年もバイクに乗る機会を失っております。飽きてしまったから...というのとは違う気がしますがとりあえず独りでフラフラ出掛けていくのは止めておこう...みたいなモンをあるとき感じて以来、ウチのバイクのエンジンに火は入っていません。そろそろ整理してもいいかなぁ、くらいのことも考えていますが、気持ちに火が点けばまたリュック背負って出掛けたいなぁ、という相反することを思ったりで、ジブンの身体が朽ちるまでモヤモヤするかもしれませんね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜