島田紳助引退騒動 〜 真実とはかように鬱陶しい

なんだか一昨日のお題の続きになります。島田紳助引退会見、ジブンの印象は「いろんなコトにいい加減うんざりしたんだろなぁ」というモノでした。「有名人には社会的責任を負ってもらう」はあたりまえに使われる台詞ですが、取り扱いはあいまいで「とにかく臭いものには蓋」的な対応に終始します。ムカシながらの「オトナの対応」などもってのほかというのが今の社会。マスコミ報道は「持ち上げるだけ持ち上げて、落とすだけ落とす」下世話さが本質ですから、事実の扱いや事実をつなぐ空白部分は犯罪者扱いの物言い。「引退裏側の真実は」が鬱陶しさ満載になるのは必至です。

 「暴力団幹部宅から直筆手紙」と親密を匂わせるモノが、実は一筆添えられた既成年賀状に過ぎないかもしれない。マスコミはそれくらいの意地汚い物言いをするという比喩に過ぎませんが、同時に「直筆手紙が存在する」コトが「社会的責任」に反する行為であるとまではマスコミは決して言わない、という二重三重に無責任な存在と言えます。

「社会的責任」というお題目につきあえない状況というのは往々にして存在します。「義理と人情」に重きを置く人生を歩めばなおのことです。「社会的責任」がひるがえって「自己責任」と言い出しかねない世の中にあっては実のところ「社会正義」などはまだまだマンガの世界の台詞ではないか?と思えるし、デジタルに割り切って敢然懲悪をミハタに据える社会は、かえって物事を歪ませる気がしています。

島田紳助引退会見は、つまるところ「社会的責任」という体裁のために自分の「義理と人情」を引っ込めなければならない、そんな社会の鬱陶しさにうんざりした顛末のように思えます、