外人さんには決して日本人だと見えないらしい讃岐生まれの確かに皆から変わってるとは言われる純日本人のつれあいと、15年間家族でいてくれたボストンテリアのさんちゃんはいなくなってしまったけど、臆病なくせに気が強いスコティッシュのななと、風体は山猫然なれど気持ちの優しいメインクーンのクーと埼玉県さいたま市で暮らしてるジブンです。

年金を貰える年齢になって、仕事のことばかりでなく遊び方にもいろいろ考えることも多く、果てさて人生後半はより賢い無手勝流な生き方でないと乗り切れそうもありません。頭の瞬発力も昔ほど頼りにはならず頭のトレーニング代わりのブログも書き留めた走り書きのメモが多くなりがちでまとめるのが億劫、ジブンのための備忘録か縁者に向けての我が家の遠距離報告代わりに使われることの方が多いです。そんな漠然とときにしつこいとっちらかった話ですが、ときどきは役に立つお話しも書きたいと思っています。暇なお時間にでも覗いてやってくださいませ。

 

10代成り立てだった頃の自分は、家の前を走り去っていくKAWASAKI MACHIII の吐き出す白煙を巻き上げて、遙かまで疾走していくのを憧憬の眼差しでずっと眺めておりました。16才の誕生日の1ヶ月後に原動機付自転車免許を取得しHONDA CY50「ノーティーDAX」に乗り始めて以来いろいろ変われど40年以上自分の傍らにはいつもバイクがあります。

CB750K2、RZ350D、CB250RS改500などロード スポーツ車も一時期所有したことがありますが、やはり山に分け入ったりする性癖には相性が悪く、オフロードバイク(1973KS125TR>1980KL250A3>1981XR200R>1988XR250RJ>1979XL500S>1981XR200R)で出かける事の方がずっと多かったように思います。なにより荒ぶる気持ちを河川敷や人里離れた山奥の林道で爆発させる分には文句も出なかった時代でしたから。

1982 八ヶ岳・海ノ口牧場付近

 

ウチの親父は洋服の仕立屋さんで生きた人で、晩年ははるばる東京から九州・博多まで「ここだったら仕立てていただけると聞いて...」と服地を持ち込むお客さんがいたり、婦人服ながら「継ぎ目ナシの全円フレアスカート」という無理難題なオーダーもこなすそこそこ腕の立つ職人さんでした。しかし70年代以降の大量消費時代に職人の仕事は急速に細って、その技術を息子に継がすなどと言うことは全く考えていなかったようです。その息子が継いだのは、家の増改築までこなしてしまう親父の器用さと、いつもトイレに地図を持ち込んでルートを頭に刻んでは、遥か遠方まで家族ドライブに出掛けても不思議と迷うことなく目的地を行き来してしまうという記憶力だったように想います。気の向くままに郷里を飛び出したジブンですが、そんな息子は果たしてどんなことになったのでしょう。

実家に残してあった荷物の整理際に十代の書き置きを見つけました。「追いつけはしないと解っていても、夢から夢へと覚めていく、そんな僕の人生だったらいい」というなんとも不遜な走り書きが残っていたのですが、その後に自分の重ねた経過は幾分形も丈も低くなりはしたものの概ね外れてないなぁ、と思ったりします。そのときどきに分不相応な任を引き受けてきたもんだと振り返りますが、「なんとかなるさ!」という向こう見ずな連続でした。

1993 Macintosh Formatted 3.5inch MF2HD Floppy Disk (日本コロムビア)
チキチキマシン猛レース・KenKen version

これは、理数系が得意だったバイク小僧が、工業デザインを志ながら塗料/塗装工学のお勉強を窓口に、当時の先端技術と言われた磁気塗料開発の職を選択し、出会うことになったコンピュータ(Macintosh)を通じて、デザイン/マルチメディア/ITに還流していくお話しです。

バブル期の社会人をエンジニアから始めたジブン。新入社員にいきなりの出向命令で難儀なサラリーマン生活が始まりました。しかしながらこの事が後々に大きな影響を及ぼす沢山の教訓をもたらしてくれたと今でも思っています。

メディア開発エンジニアと商品企画、ときどきにわかプログラマーと面白おかしく仕事を任せていただいた今は無き会社に感謝であります。

世紀末が近づき「やっぱりジブンがやりたいことをやろう!」とWEBディレクター兼プロデューサーとして始めた世界初のインディペンデント・アーティスト向けASP音楽配信サービス...だったのですが「始めるのも終わるのも早すぎた」と後日語られる企みでありました。

新世紀初頭、ネットDL配信に向かう狭間の一時期、PtoPの音楽CDコンテンツ流通ビジネスモデルとして企画したモノ、アーティストとユーザー双方にとっていまでもあるべきカタチだと思うんでがねぇ...

趣味と仕事の狭間に一時期こんなモンも作っていました。


 

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