日々の雑感〜黒子のバスケ脅迫事件〜人生は抱えてもらい抱えてあげられるヒトになりさようならを言いたい

"ガラガラポンに向かう社会" カテゴリー記事
  

「出所したら自殺したいです」と言葉にするほどにはこの世に未練が無いわけではない、どこまでも愉快犯な渡邊被告であります。

「黒子のバスケ」脅迫事件犯人の渡邊博史です。誠に以て勝手ながら、一身上の都合により控訴させて頂きます。自分は判決には不服はありません。控訴の理由 はどうしても下獄前に済ませておきたい用事がまだ残っているからです。それが終わりましたら、すぐに控訴を取り下げます。冒頭意見陳述で控訴しない旨を表 明しておきながら、それを違えることになってしまい慚愧に耐えません。遅くても来月中には控訴を取り下げて判決を確定させる予定です。
              2014年9月1日 元EXOペン 渡邊博史

 

先月に結審したはずだった黒子のバスケ脅迫事件の渡邊被告「今回は本当にありがとうございました」で締めくくられた最終意見陳述はA4用紙44枚に及ぶ力作で、何度も読み返してみる気になる程には興味深い内容でありました。(ココで立ち読み・購入できます)

最終意見陳述で長々語っている内容は、最終ページの「「生きる力」とは何か?自分はここまで堕ちた人間ですから、それが何かがはっきりと分かります。それは根源的な「安心」です。」に集約させていますが、文才云々はさておき渡邊被告というヒトについては、ありふれた生い立ちの極めてフツーな人間のただただ運の悪い野郎、というのがジブンの見立てであります。

言わんとするトコロに部分的な共感はあります。「抱えられている」という安心があれば生きていくのに躊躇することは無いであろうなとは思うワケです。ただ彼はそれを母親から貰えなかったから云々と続けていますが、それはジブンの廻りの出来事に照らして少ないながらも”ありふれた生い立ち”の範疇のお話です。多くは安心を担保できる存在と出会い”生きていく力”に換えて今を生きています。

精神的に病んでいると判定されるのかどうかは解りませんが、ジブンには他人事のように結着をストーリーするだけの頭を持った”フツーな人間”にしか見えません。

安心を担保できる存在とは「抱えられている」「抱えてあげられる」関係とも言えます。そこに至るには”共感”の経験が必須であろうとは思うワケですが「安心が無ければ共感が生じない」ワケではありません。”共感”自体は努力とか才能とかではなんともし得ず、勘違いや思い込みというネガティブ要素から生まれることの方が多いモノでもあります。そして経験の多様が共感のトリガーの幅を広げます。

そんなこんなで安心を担保できる存在と出会えるかどうかは運に掛かっているやもしれません。渡邊被告はただただ”ひとり”であったのでしょう、それは”ただただ運の悪い野郎”だっただけです。

事件後、世間に構って貰うことで運が変わるやもしれない渡邊被告。黙って服役してろ!なお騒がせ野郎です。

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