オフロードブームのピークアウト

1980年という年は、その後やってくる空前のバイクブームを駆け上る聡明期みたいなもので、レーサーレプリカに繋がっていく「高出力-高性能」路線モデル(MVX250、KR250,RZ250-350,RG250)に皆がヒートアップしていました。(ヤマハのパッソーラやホンダのロードパルが爆発的に一般家庭に浸透していく時代でもありました)

1980年には国内の市販車にも「モノサスペンション」を採用したオフロードモデルが登場してきますが、輸出モデルは数段進化した羨望の車種がラインナップされていました。

1980年(国内販売モデル)
ホンダ :XL250S(1978) → XL250R(1981)
ヤマハ :DT250(1978) →DT200(1983)→XT250(1980)
カワサキ:KL250(1978,1979) →
スズキ :TS250-10 Hustler (1978,1979)  SP370(1977)

1980年(輸出モデル)
ホンダ :XR200,250,500(1979) → XR200R,250R,500R(1980)
ヤマハ :IT175(1977),250,400(1978) → IT200(1981)
カワサキ:KLX250(1978) →KDX175,250,400(1980)
スズキ :RD370(1977)

1978年(〜81)輸出専用車両として米国のエンデューロシーンに投入されました。エンジンは国内市販のKL250と共通で吸排気チューンでわずかに出力アップしたものでした。
サスペンション・ストローク300mmに達する”ツインショック”が造形も美しいリヤスイングアームに収まり、今でも最高にかっこいいと思わせる車体です。 逆輸入価格が70万円オーバーと、庶民には高値の華の車体でもありました。

そして1981年、新時代のモノショックを装備したXRシリーズが登場します。この車体もXRシリーズ中最も「FUN TO RIDE」な1台でした。

両者に共通するのは競技車両とされながら「戦闘力」よりも「駆ける楽しみ」を存分に味あわせてくれる車体であったことです。

当時、長野の八ヶ岳周辺、南アルプスから富士登山道周辺で、たまにすれ違うお仲間に挨拶しながらトレッキングを楽しんでいたジブンですが、80年代中頃のオフロードブームではそれまでバイクに無縁の人間までが山奥に押し寄せ、獣道やガレ場で渋滞が起こり、山林が荒らされ、峠道同様に2輪車が排除される憂き目にあうまでそんなに時間はかかりませんでした。

この悪夢のようなオフロードブームは2年足らずでピークアウトしてしまい、エンデューロレースの興隆という形で健全化していきましたが、二十数年を経て、また山に昔のような静けさが戻ってきた事はさびしいようでもあり、ほっとするようでもあります。