成人のみなさんに贈る歌〜杉田二郎:陽炎〜ジブンの成人式だった頃

 成人式はなんのためにあるんだろう?
今風にググってみればいろいろ出て来ますが、いまのジブンだったらくどくど言えるコトも二十歳の頃には、”行政機関のご都合集会”か”同窓会の別バージョン”くらいにしか思えなかったモンです。

しかしながら当時のジブンはわがままに2年間を棒に振った浪人生でしたから、ふらっとバイク旅に出掛けたりと廻りからは飄々と見えても内心、家族や世間様に申し訳ないという負い目をずーと抱えておりました。そこで迎える成人式ですからいろんな意味で未達なジブンがくぐれるモンでもなく、いわんや祝福を受ける立場とは到底思えないわけで、当然、成人式は欠席するワケです。

陽炎 杉田二郎

「春でなくて夏でなくて秋でなくても、もゆらぐ陽炎...君に見えるだろうか」で始まる歌詞が、”解ってもらえないだろう”という独りよがりと、それでもなんだか救いが欲しいというアンビバレンツな思いを代弁してくれておりました。

「土砂降りの中に立ってた二十歳の頃...」でしたなぁ

欠席した成人式が終わった昼下がり「なんで来んとや!」と"サクラギ"と”フジオカ”がウチにやってきたのを覚えています。思えば成人式に出ない"独りよがり"の後に"救い"はちゃんとやって来ました。

それからまもなく次のステップに進む合格通知が届き、その年の春に郷里をあとにすることになります。そんなジブン物語のなかにも”出席しなかった成人式”は、区切りのエピソードとして登場しております。

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つれあいの成人式の頃はというと.....

着慣れない”ばぁちゃんの形見”の振り袖を無理矢理着せられて
出来上がった鏡の向こうには”おてもやん”なつれあいが立っていて
(ばぁちゃんが細身だったので縦横のバランスが...)
大爆笑のうちに家を送り出され、乗り気で無い成人式に出掛けると廻りに知り合いが独りもいない。

都内の行政区割りの弊害で近所と言えども成人式会場が違っていた、と気づいたときはあとの祭りで”おてもやん”なジブンに好奇な視線を感じるものの、言葉を交わす友人もなく、偉そうな言葉を垂れるじいさまの説教が終わるのを我慢しながら待つのみ。

東京都北区のお祝い品は”北区の地図と紅白饅頭”、「地図は即行捨てて、饅頭はおかんにあげた」のだそうだ。あとから友人に”なんで来なかったの”と聞かれても「しょうがないでしょ!」とつくずく段取りと融通が効かないつれあいの成人式だったそうだ。(大爆笑)