息子と私とオートバイ 〜バイクは思考する旅のお供

先日思いがけず古本市で、1976年初版の「息子と私とオートバイ」(ロバート・M・パーシグ 早乙女 忠 訳)を手に入れる事が出来ました。既に傍らには某市営図書館に30年以上返却されずにある同名本があるのですが、いろんな書込や日焼け、シミ、なにより装丁がボロボロで返却叶わず...の状態でしたから、手垢の薄い美本に出会えたのは啓示かな、と20年ぶりくらいに読み返してみました。

原題は「ZEN AND THE ART OF MOTORCYCLE MAINTENANCE」

よきものとは何か、
あしきものとは何か----
パイドロスよ、そうした事柄について
人に教えを乞う必要があるだろうか。

そんな冒頭の言葉からはじまる内容は、オートバイ旅行の本というだけではありません。奇しくもバイクの免許を取った年に出会った本で、初めて読んだ頃の十六歳のジブンにはかなり難解な内容でしたが、放り出すことなく予備知識を仕入れては読み返してみる、を数年繰り返す希有な読み物でした。三十年以上経った今読み返しても内容が腑に落ちるということはありませんが、長い時間が経過したから思い当たることもあったりするモンです。

※1990年に五十嵐美克 訳版「禅とオートバイ修理技術」という題で再販されましたが、内容のイメージはかなり違います。興味のある方には、早乙女 忠 訳版「息子と私とオートバイ」の方を強くお勧めします。

「ずっと彼方にはなにがあるの...」
まだ蒸気機関車が走っていた頃、線路を跨いで遠くを見ていた幼稚園児は随分と遠くまで歩いて迷子になることしばしば。小学校にあがって地面が遠い貰い物の自転車に跨って隣の町まで遠征できるようになり、新聞配達で稼いだお金で自前の自転車を買う頃には県境まで足を伸ばせるようになっていました。
中学生になってからは身の廻りがにぎやかで、時間が幾らあっても足りないと感じていましたが「高校生になったらバイクに乗れる」を待てない自分は団地を廻っては廃棄同然のバイクを譲って貰い、レストアまがいな事をやりながら購入準備をし、4月生まれの自分は高校入学早々に原付免許を取得。けれども懐具合の関係で実際にバイクを手にできたのは更に半年後のことでした。

「ずっと彼方にはなにがあるの...」を訪ねる旅は、身の丈が伸びるのと歩を合わせて広がっていきました。この頃になると生きてく先の「ずっと彼方にはなにがあるの...」も頭のなかで同時進行していきます。そして風の中に答えがあるよ〜♪と歌ったピーター・ポール&マリー(Peter・Paul and Mary /1963 In The Wind )の気分をまとった小さな冒険家きどりであったりするわけです。仲間と走ることもありましたが、それよりもずっと多くの時間を独りで走り続けることの方が自分にはあっていました。

「ずっと彼方にはなにがあるの...」を訪ねる旅に終わりはありません。
それでも実際の旅では帰っていける場所があること、待ってる人達がいることが、なによりの喜びであるとはっきりと気づかせてくれたりします。

ご冥福をお祈りいたします

 

 

 

 

息子と私とオートバイ 〜バイクは思考する旅のお供” に対して1件のコメントがあります。

  1. Motorcycle Guy より:

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