クリスマスソング定番3作にまつわるジブンのお話〜恋人がサンタクロース/クリスマスイブ/クリスマスキャロルの頃には

いざなぎ景気を抜いて戦後2番目の長さの好景気と大本営発表が流れる年末ですが、バブル期の80年代の盛り上がりが再現されるワケでもなく、ここ数年の傾向どおり平成最後の庶民のクリスマスは粛々ムードであります。

世代とともに移り変わるはずの「心に残る定番クリスマスソング」にあって数十年も居座り続けるスタンダード・ソング、いい加減じじいとばばあに付き合う必要はないと思えるのですが...もしかしたらクリスマスに特別な想い入れたっぷりなのは、バブル期にハレの青春を過ごせた我々だけなのかもしれないと思ったりします。

 

1980 恋人がサンタクロース 松任谷由実

九州・福岡から大学進学で神奈川県相模原市に上京、奨学金で最低限の寝食は確保されていましたが自由になる金はゼロ、休日バイトに奔走しながら半年、不二家レストランでやっと夜間常勤バイト先を確保して生活リズムと余裕が生まれた年末「来年はいいことあるぞ」とバイト先の連中と安堵と期待と夢いっぱいなクリスマスを過ごしておりました。

1980 恋人がサンタクロース
松任谷由実

 

1983 クリスマスイブ 山下達郎

新入社員のジブンは出向先の日立研究所におりました。右も左も解らず研究課題の糸口を探す手段さえままならないという不安をまだ抱えたまま過ごしたクリスマス、この年は12/24、25が土・日に重なりバブル期独特のムードいっぱいな世間のなか、ジブンもJR東海CMさながら学生時代を過ごした街に向かい、当時おつきあいさせていただいた方と一緒でありました。

ただそんな気分なジブンですからクリスマスが盛り上がることもなかったなぁ...翌年、研究課題解決の糸口をつかみ月160時間の残業で仕事に没頭していたジブン、そんなおつきあいは翌年末のクリスマス前に終わるのでした。

1983 クリスマスイブ
山下達郎

 

1992 クリスマスキャロルの頃には 稲垣潤一

この年のクリスマス、自分は香港で独り過ごす羽目になってしまいました。
中国・珠海にある顧客先工場からのクレーム対応、技術支援の日程が予想以上に伸び、更に年末の帰国便のWブッキングと混雑で振替便が見つからないというトリプルパンチで、なんとか確保した香港のホテルでこの曲を聴いておりました。

着陸時にアパートの人と挨拶出来そうなくらい近接してました

翌年には解体されてしまった香港・九龍城砦
高級ホテルとのコントラストが凄い街でした

結局、会社が年末年始休業期間に入った30日、香港→台湾→福岡という乗り継ぎ便をなんとか確保して年内の郷里帰省には間に合ったのですが...

1992 クリスマスキャロルの頃には
稲垣潤一

 

ジブンにとって人生でイチバン充実していた時期の出来事と重なる「クリスマスソング定番3作」何も思い出せない味気ない年のクリスマスもありますが、この定番3作に限って言えば面白可笑しくほろ苦いエピソードとして語れるくらいボリューミーな出来事満載な記憶に結びつくジブンにとっても「心に残る定番クリスマスソング」と言えます。