日本と朝鮮半島〜元寇〜朝鮮出兵〜対話の作法

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最近の日韓情勢を見るにつけ「やっぱり韓国人は…」という大括りな言い方をしそうになるのですが、地政学的な理由なのか朝鮮半島に暮らすヒトの心情は歴史的にも現在も微妙に気難しいです。

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鳴梁‐渦巻く海:韓国映画
(邦題:バトル・オーシャン 海上決戦)

1597年わずか12隻の船で豊臣倭軍330隻に対抗して勝利した(と韓国では伝えられている)李舜臣将軍の戦いを描いた映画。

外国に出ると ”ジブンの国のコトをちゃんと知らないと恥をかくだけでなく、あからさまに馬鹿にされる” と知ったのは30年以上前のことですが、仕事でならなおさら相手の国やジブンの国との関わりくらいは予備知識として持って出掛けるのが”作法”というものです。

仕事柄知人友人の多い韓国人や幼なじみの在日朝鮮人と言葉を交わす際、日韓関係で度々言われる歴史認識問題は矮小化された政治的な国の問題と互いに了解しておりますが、酒の席での”いちゃもん”がないわけでもありません。
ジブンとしては歴史の渦中に無い人間に国を代表して頭を下げる気など毛頭ありませんが、百歩譲って”いちゃもん”にもつき合えるくらいの”作法”は身につけたいとは思っています。

そもそも日本人と朝鮮半島に住むヒト達は、まだ日本人が”倭人”の頃からの因縁もあってソリが合わない間柄だったワケです。そして九州北部が主戦場となり内地侵略を受けた蒙古・高麗連合軍による元寇(1274年:文永の役、1281年:弘安の役)に至っては、国内世論は朝鮮半島に住むヒトに多大な不信と憎悪を募らせ、とりわけ九州北部の地元では朝鮮人差別の温床も生んだわけです。

福岡の郷土資料には「高句麗ノ兵舟」という記述も多く登場し「悪さしたらモクリ、コクリが来るぞ」という子供を叱る風習が残るほど当時の九州北部の人には、”モンゴル人と朝鮮人(高句麗)による侵略があった”という想いは強く、福岡:東公園にある筥崎宮には元寇由来の「敵国降伏」の扁額がいまも掲げられ、”蒙古襲来”を予言した日蓮の像が朝鮮半島を睨んで建てられています。
※高麗は、王建が高句麗の後継と称して建国、新羅・後百済・泰封を倒して統一した。「朝鮮半島に住む人」という意味で欧米の表音「KOREA」の素となった。

福岡東公園の日蓮像

数年前に「元寇の歴史、共同研究を」下村文科相、韓国側に提案という朝日新聞記事が載って、「ああ…対抗して嫌がらせ始めちゃったよ」とか思いましたが、情報も満足に伝わらない13世紀のことであり九州の地元のヒトにとっては朝鮮半島から高句麗舟でやって来た敵はみんな”朝鮮半島に住むヒト=朝鮮人”だと解されるか、蒙古に与する朝鮮人(冊封国関係)という認識だったはずです。

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1592年に始まる豊臣秀吉が朝鮮に向けて出兵するいわゆる朝鮮戦争(文禄・慶長の役)は、侍の思惑や歴史の時流が何だったにしろ地元九州のヒトにとっては「朝鮮征伐」の言葉に値すると思い込むに足る復讐戦の機運満々だったことは間違いないです。

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