日々の雑感 〜おなじみさん〜

”おなじみさん”は”馴染んだヒト”というコトだが、人はどれくらいのつきあいで馴染むモンなんだろうか。

”馴れ馴れしいヒト”という一方通行な関係では”おなじみさん”とは言わないのだろうか。

”関わりたくないヒト”でも顔を合わせる機会が多いと”おなじみさん”なのだろうか。

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 どうやら”おなじみさん”には好きも嫌いもないようだ。

知らないうちに一方的に”おなじみさん”にさせられるコトもままあります。

一方的にせよ相互にせよ少なくとも印象のやりとりが繰り返されて醸成される感情が”おなじみさん”と言わせているらしいのだが、醸成はヒトの印象の深さと繰り返される頻度のかけ算みたいなモンなのかなぁ。

ご近所のいたるトコロで”おなじみさん”と認知されるのは迷惑ではないけれど、あまり羽目を外すようなことはできないーーー恥ずかしいーーーなぁというそれまで無縁と思われた他人の目を意識させられるようになります。

「防犯上の相互監視」というのはそうやって出来上がるモンですが、「プライバシー」にことさらうるさいヒトには”煩わしい”と受け取られることの方が多いシロモノ。”おなじみさん”にベタつきを感じて不快に思うヒトです。

「どうやら”おなじみさん”には好きも嫌いもないようだ」を受け入れ難いヒトは実はたくさんいて、それがいつ”お節介”に代わりやしないか、という神経質なつきあいを感じているヒトです。

”おなじみさん”はいつのまにか勝手に参加させられるコミュニティーのようなもの。

いつでもコミュニティーを抜けることは可能ですがそれにはジブンの生活スタイルを変える必要がある、というから厄介です。

ネガティブな話に終始しましたが、”おなじみさん”なかなかいいもんだと受け入れられる人生の節目です。