いとおしいは愛おしいであり愛しいに通じいと惜しいと訳せば腑に落ちる〜真実の愛なぞ探せない
長く人生やってれば「愛してるって言ったのは嘘だったのね!」とか言われた挙げ句に引っ叩かれるなぞという場面もありましょう。そのたびに言葉にはしないけど「違うんだけど...」と心のなかでつぶやくことは何回もありました。好きだったのが好きでなくなることは往々にしてあることだし、「愛しているけど結婚までは考えていない」とか正直に言えば「最低っ!」と両頬ぶん殴られることもあります。果たして恋愛は「愛しているか否か」Yes/No ゲームの紋切り回答で片付けられないコトは男も女も承知しているはずなのですが...

昔、高校古語の教師に「愛の深さは実感できる」という話を授業中に聞いたことがあります。
「愛しさの深さは、身近で大事にしているモノ、大切に思うコトに置き換えて考えると分かりやすい」
「いとおしさ(愛しさ)は、いと惜しさに通じる」という考え方だと言う。
なるほど、恋愛の推移は、子どもの頃に夢中になったおもちゃがいつしか陳腐に変わり忘れられ手放していくのと同じか...と実感したモンです。みかけの美しさや好奇の輝きに流行り病のように魅了されることは「恋という名の病」であって、一刻の熱が引いても果たして永々と”手放したくない(いと惜しい)”と思えるかどうかは蓋を開けてみないと解らないということです。
人生長い経験を重ねるとジブンにとって手放したくないという思うモノは必ずしも高価なモノ、貴重とされるコトとは限らないし、どちらかと言えば他人からは理解しがたい、陳腐とも思えるモノが実は手放し難いシロモノだったりするモンです。だから、ホントに愛しい〜手放し難いと思えるか見定めるには相応の時間が掛かるはずです....が、意外と初恋同士の夫婦というものは死がふたりを分かつまで添い遂げる確率が高いと言われてもいるので不思議です。
くれぐれも紋切り回答のように「真実の愛」なぞ探せないと承知しておいた方が気楽です。しみじみやってくる深い愛に気づくまで...

