カワサキGP レーサー RACERS〜いつもドタバタ楽しませてくれます

70年代後半から80年代にかけては高度経済成長の波に乗っかって、モーターサイクル全体が活況ピークに登り詰めるいちばん勢いのあった時代だったし。それまでのモーターサイクルのカタチを変革するためのトライアル時期でもありました。このブログでは80年代のオフロードバイクばかりにフォーカスしていますが、当然オンロードバイク・GPレーサーにも興味深いお話しはいっぱいです。

For sale 1982 KAWASAKI KR250 Racer 〜RMD Motors」の記事を書いた後にグッドタイミングで発売(10/24)されたのがコイツです。

「男・カワサキ」とかのキャッチフレーズはとても好きになれそうにありませんが、ハイカラなYAMAHAに対してバンカラなKAWASAKIというのが、ワタクシのなかのイメージです。70年代初頭の川崎重工バイク部門などカチカチの旧体制にあって生まれた「清原明彦伝説」などは当時のモーターサイクリスト誌にもレース結果のなかで皮肉たっぷりと紹介されていました。(会社にそっぽ向かれて革つなぎにTシャツ姿でノーマルH2で出場だもんなぁ...)

そんなバンカラを背負った清原さんがドイツGPで表彰台に登ったマシンがKR250。Mr.Bikeに詳しい記事が載っています。 ただMr.Bike記事に登場するKR-3なるV4ロータリーバルブレーサーは当時のモーターサイクリスト記事ではKR2として紹介されています。(8速→6速レギュレーション変更版のKR1はそのままKR1として扱われています) 名称の真偽は別にして、エンジンレイアウトが掲載されていなかったので補足しておきます。

KAWASAKI KR2 124cc V型4気筒ロータリーディスクバルブ
ボアxストローク 34x34.3mm   40PS/17250rpm

はい、ピンと来ましたね(笑)  10年後に登場するKR250の特異と言われた縦型タンデムのエンジン配置にそっくりです。突然閃いたと言うわけではなく、下敷きはお蔵入りしていた幻のレーサーにあったんでしょうね。ただ同爆させるというのは当時発想の転換が要ったのではなかろうか、とも思えます。

当時、川崎重工業の小さな事業部門に過ぎない部署にあって、少人数の掛け持ち開発でいつもドタバタしながら大メーカー(HONDA YAMAHA SUZUKI)に一泡吹かせようという気概は、昔のワタクシタチの仕事にオーバーラップして気持ちいい限りですが、所詮金が無いところがやることは中途半端で大メーカーには敵わない、という下りは「そうなんだよねぇ...」としんみりさせます。