Shibuya.BitLive.net Independent artist's comunity 〜気分は独立愚連隊
目次
1998
そんななか渋谷交差点のTSUTAYAオープンイベントで、日本コロムビア所有のライブハウス渋谷「Egg-man」でのライブ映像をTSUTAYAビジョンで流す企画が持ち込まれ、夜間の時間帯に上映することになりました。「Egg-man」出演のインディーズのライブ映像で、一時期渋谷交差点が野外ライブ空間になる盛り上がりでした。これをきっかけに「WEB Egg-man」というライブ映像配信サイトを企画しました。映像配信技術の聡明期であったため自前で配信できるほどの予算はなく、NTT-Comunicationや、KDD(現在のKDDI)とのコラボレートを画策する日々でした。
その後インディーズの実態調査をするうちに「Egg-man」というくくりでは小さすぎるという事、「ライブ映像コンテンツを配信する」コンセプトからもう少し踏み込んだベースを作りたいと考えるようになり「インディーズ支援コミュニティー」という方向に振った企画に変遷、企画呼称「shibuya.BitLive.net」として1998年11月スタートに向けて準備を始めました。
Free offer the WEB TOOLS for indipended Artist
ASP開発は(株)ランドマークプロジェクトに依頼、3ヶ月の短期間でシステム概略までを構築して報道発表に漕ぎ着けました。

Buisiness Model
「インディーズ支援コミュニティー」がコンセプトですが、ボランティアではないので当然会社からビジネスモデルとしての収益プランを要求されます。WEBツールの無償提供は当初から決めていましたので、別途に収益構造を作らねばならなかった訳ですが、社内レーベルによる新人発掘/配信コンテンツ確保等、当面の収益目論みは棚上げ状況でスタート。
インディーズ参加のポータルサイトを目指すことで生まれる資源をプレゼンしても、当時の上層部経営陣にはまだコンセプトも未来像も理解しかねる時代でしたが、いまだったら実現したであろう企画はたくさんありました。
- 携帯電話向けライブ映像配信
1999年当時、KDD研究所はMPEG-4の前身技術であるH-263を独自改良して「Quality Motion」と呼ばれる動画圧縮技術を持って、来たる携帯電話による映像配信に向けての準備をしていました。
BitLiveでは、KDD(現在のKDDI)とのコラボレートにより携帯電話向けライブ映像配信を準備することで、将来のコンテンツ配信ビジネスへの布石作りを目論んでいましたが、KDD→KDDI合併やG3携帯電話の移行順延、コンテンツ配信ビジネスへの展望が明確でなかった事もあり、コラボレート寸前まで行きながら、その時期を逸したのです。
当時はまだNTTドコモの「iモード」が出てまもなくの時期、携帯電話での映像配信を予感できても、実際にそれをビジネス展開することを上層部は想像しえなかったのだと思います。また上層部を動かすだけの、自分の企画力が不足していたと言えます。
- CDプレスオンデマンド
インディーズにとってCDリリースすることが一つの目標であった時代、BitLiveでは海外プレスメーカー(韓国:JEIL RECORDS)とのタイアップで格安のCD制作を提供する目論みでしたが、川崎に自社プレス工場を持つメジャーレーベルというプライドからなのかこの企画は却下されてしまいます。
- CDRオンデマンド
これならば文句なかろう、とマスター音源/ジャケットイメージを預かって、客注文に応じてCDRパッケージを制作・出荷するオンデマンドサービスを行っていました。
- 新人発掘
インディーズのポータルサイトになった段階で、新人発掘業務自体は当時のグループレーベル「HEAT WAVE」に引き受けてもらう目論みで動いていました。
ところが1年後、花形アーティストを抱えた独立レーベル会社であった「HEAT WAVE」は資本金を使い切り消滅してしまいます。
Bitlive自体をレーベル化することも検討しましたが、折しも外資リップルウッドの日本コロムビア買収の時期と重なりレーベル化は胡散霧消してしまいました。
Compilation CD
「インディーズ支援コミュニティー」のコンセプトを決めたときからそうすることを条件にしたので、上層部からは何度となく文句を言われ続けていました。メジャーレーベルが「支援コミュニティー」運営はおかしいでしょう、という企画自体にアンビバレンツな要素はあったのですが、メジャーレーベルのアーティスト育成資金の使われ方としては至極真っ当な方法ではなかろうかとも考えていました。そこから有望な子が見つかればそのときメジャーレーベルらしい顔をすればいいんだと。
Compilation CD2
「Shibuya.Bitlive.net」のお披露目を兼ねて、初期参加メンバーの中から10組を選抜して「Bitlive Vol.1」なるコンピレーションCDも発売しました。ここでも企画・制作:ビットライブ、発売元:(株)オフサイドと日本コロムビアの名前は登場しません。ただし登録楽曲は全てコロムビア音楽出版が管理することになっていました。(株)オフサイドには首都園ライブハウスと企画提携する際の窓口業務をお願いしていました。当初から社内レーベル化させる意図はなく、あくまでインディーズ・レーベルであることにこだわった結果です。
Postscript
BitLive.netは、日本コロムビアという古参のメジャーレーベルに属した組織でしたが、インディーズがその名の由来さながら自主独立で成立する音楽シーンを目指していました。
同時にメジャーレーベルの役割というのはショービジネスに徹すればいいし、シングル10万枚以下の実力しかない者に手を出すべきではないとも考えていました。メジャーと呼ばれるだけのトップエンドの住人達だけが君臨する冠でなければ、そこを目指す意味はないでしょう? しかしながら米国:リップルウッドによる日本コロムビア買収が水面下で進んでおり、リストラ時期に入った会社は確かな保有資産の確保と贅肉そぎ落としのため、原資産以外の全てのプロジェクトについてストップがかかりました。
ビジネスモデルが不透明な BitLive プロジェクトも当然リストラ対象とされ、この密かな企みは2003年5月を持って終演を迎えることになり、ジブン自身も既存レーベル業務に興味が持てずプロジェクト終了後に日本コロムビアを退社しました。皮肉にも米国でほぼ同じコンセプトのMy Spaceが入れ替わるように起ち上がり、2000年代一時期の音楽界を盛り上げたことを見るにつけ、当時のジブンのプロデュース能力の至らなさを痛感させられたモンです。