ハイパーテキスト1〜HyperCard ハイパーカードだぞ!
昨日も仕事が忙しくてレストア作業はNothing! 明け方まで後輩と連携して顧客管理データベースのアップデート作業に追われてしまいました。 作業のあいまに納品した解説書のイラスト修正の依頼が入り「苛っ!」としたり、USB製品サンプルの評価レポートをメールしたり....ちょっと熱が出てきたかな
「情報の共有化」もう陳腐化したような言葉ですが、エンジニアしていた20年前「情報の共有化=報告書の交換と会議」でした。いまでも儀式的に会社組織では続いていますが、当時の自分にはばからしい時間でもあり、情報を伝える/知るために必要な時間でもありました。 もっと効率よくできないものかとパソコン/ネットワークLANをトライした事もありましたが、まだおじさん世代にパソコンは敷居が高く、ネットワークLANなど夢想の彼方にありました。
当時、MS-DOS3.1からネットワーク対応コマンドが収録され、Windows386までは「これでなんとかならないかな」くらいの事を考えてました。ところが、1987年 Macintoshに「HyperCard」が登場します。
それまで「DB2」で文字ベースのデータベース構築しか頭になかった自分には「驚異的」なツールでした。いつまで経っても役立たずな「DOS-Windows」に見切りをつけて「Macintosh」に宗旨変えした瞬間でもありました。
当時(1988)のフロッピーディスク技術開発・設計部門と工場部門間で情報共有するために作成したスタックです。モノクロとはいえグラフィックを簡単に扱えること、情報をカテゴライズすることもドンブリで扱うことも非常に簡単だったことは今の水準で考えても「驚異的」です。
ここで磨いた素地がゆくゆくの悪のりに続いていきます
2025.2.3追記
20年位前に書いた40年位前のお話です。スマホやインターネットも無い時代ですから社内情報共有はかつて ”青焼き”と呼ばれた転写紙の配布で行われていました。それこそパートのおばさんが郵便配達員のように広大な工場を歩き回っては関連部署向けに仕分けして配っていたワケです。
21世紀になってもなかなかIT化が進まないと嘆かれていましたが、遡ること更に20年前です。働くおじさん達の95%はPCキーボードが使えません。それでもパソコン画面を操作出来るように「ボタン」と「10キー」操作だけで動作伝達出来るように工夫はしたものの、まぁ当時のおじさん達はパソコン自体を怖がって扱わないし「いままで旨くいってるんだから面倒なことするな」くらいには言われておりました。もっと言えば同世代のエンジニアでさえまだゲーム機かワープロとしてしかパソコンを扱っていなかった時代でしたからこんな試みはあえなく沈没してしまいましたねぇ...