塗工屋稼業奮闘記 サイドストーリー〜Macintoshがやってきた!

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<SIDE STORY>

1980年代【塗工屋稼業】エンジニアしながら社内で自己学習に励んだマイコン・パソコンのプログラミング、やがてアップルから発売される3.5インチフロッピーディスク・ドライブ搭載のパソコン:Macintoshがやってくると、ジブンの好奇心は一気に加速するのでした。

 

Macintoshがやってきた!

1983年、コロムビアマグネプロダクツ(株)でのフロッピーディスク開発は、業務用オフコンに繋がれ始めた外部記憶装置の8インチからスタートしました。その後、IBMが5.25インチ(2MB、256フォーマット)を規格化するとオフィスユース向けに需要が高まり、会社でも市販ディスクの調査、研究のため、5.25インチFDDをコントロールできる手頃な機種としてAppleII を導入しました。(実際には社員の私物を急遽会社が買い取ったんですが)

やがて1985年、フロッピーディスクはソニー規格の3.5インチ、松下/日立規格の3インチに分かれて次世代・普及型の規格を争うようになりました。「そりゃどんなもんだい?」ということで3.5インチFDDを搭載したパソコン(Maintosh128K とSONY SMX777)を調査用に買い込むことになり職場にMacがやってきました。大学時代も割と予算が豊富な研究室が多く、NECのPC-8000、PC-9800やシャープのMZ系、富士通のFM-7が置かれて「電算機」として触っていましたが、Macintoshは目を見はるべき「おもちゃ箱」に映ったものです。

 

HyperCard にパソコンの未来を見た

そもそも当時ボーナスを全部つぎ込んでも足りない程の価格だったパソコンを購入する人は、時代の先端の物珍しさに手を伸ばしてみたいと思った人か、よっぽどのオタク系の人間に限られていました。なにしろ業務用ソフトにしろ、ゲームにしろ限られた機種に偏って作成されたものしかなく、独力でプログラムできる範囲は技術計算くらいだし、やっとNIFTYがパソコン通信をモデムを介して始めたことが救いだったような時代です。まともに「楽しめる」代物とはいいがたかったのです。そこにMacintoshです。「マウスで絵が描ける」ことの驚きはもはや追体験できないであろう程だったし、Macintoshがパソコンの未来をこじ開けたとも言えるほどのインパクトがありました、そして自分にとって未来をたぐり寄せたと感じられたのはなんと言ってもHyperCard。「これこそ自分が待ち望んだアプリケーションだ!」と直感したものです。その後のやんちゃぶりは「ハイパーテキスト1」「ハイパーテキスト2」の記事として書いています。

 

デスクトップデザイン導入 

Macintoshがフルカラーボードを搭載し、Adobe社から革新的なグラフィックアプリ「Photoshop」「Illustlator」が発表された1991年頃、経緯は思い出せないのですが、デザインを担当する意匠グループの手伝いをすることになって、以前から考えていたMacintoshによるデザインワークのデスクトップ化を提案しました。
実施にあたっては業務命令もなく「好きな奴が提案して実施する」しかなかったもので、メタルカセットテープの設計担当と二人三脚でやってました。このときも上司にデザインワークをパソコンで行うことを納得させて予算化するにはえらく時間がかかりました。まだまだそんな時代だったですからねぇ。予算が降りてからはメタルテープの設計担当がデスクトップデザイン業務の専任オペレータ兼デザイナーに鞍替えすることになりました。世の趨勢としてメタルテープは廃版になることが決まっていましたし、なにより彼の性分にデスクトップデザインというのが合ってたんですね。いいタイミングでした。

自分はというと機材導入後、それまで手書きだった製品仕様書のファイル化、工場内にLANを施設して製品管理データベースの構築にトライ(現在で言うところのIT化)していましたが、時代がまだ追いついていなかったのかネットワークベースで製品管理や指示伝達をおこなう試みは現場では受け入れてもらえずうまく機能しませんでした。資材発注管理や給与計算までデータベース化できるのでは、と提案しても「余計な事はしなくていい!」と煙たがれる時代でした。

 
 
10枚組パックが主流になって各社から発売されると、隙間商品の開発と原価低減、差別化デザイン等の要求が国内営業から出されました。これは従来の紙パック/キャラメル包装仕様から「5枚パック」ワンタッチOPP化粧箱で包装レスにした製品を提案しました。デザインは同僚に任せて、思いっきりシンプルなデザイン訴求と斜線入りOPP化粧箱の発色と手触り、しっかり感を打ち出しました。一部のデザイナーからは高い評価をもらったものの、営業現場では「フィルム包装レス」というのがずっとネガ要素として指摘されていました。もちろん最後までオーバーラッピングなどしませんでしたが….
 
 
(株)コロムビアマグネプロダクツ、日本コロムビア(株)/ライセンス事業部、(株)コロムビアクリエイティブとのコラボレートで製品化した MF2HDフロッピーディスク10枚パック。フロッピーディスクの媒体開発の合間にキャラクタ製品の企画・製品化・販促もやりました。「ミュージックテープしか売ったことがない営業がフロッピーディスクなんか売れない」ということで、名刺代わりになるような製品を作ろうということで企画しました。(上記画像は、当時のプロモーション用に作成した3Dソフトによる合成画像です)
 
 
DENONブランドの3.5インチFDとしては事実上の最終モデル、中身にも外見にもジブンの手が関わった製品になりました。
 
 

マルチメディアへの予感〜HyperCardスタック付き製品企画

Colorized HyperCard2.0

1993年、HypaerCardバージョン2.0が待望のカラー対応と、QuickTimeのプラットフォームに対応しました。当時のNIFTYSERVEに匿名投稿したHyperCardスタックが海外でも反響を受け、初めて海外からメールをもらったのもこの頃でした。そんなプライベートな趣味をさらにエスカレートさせて仕事に持ち込んだのが次の企画でした。

1993年頃、フロッピーディスク商戦はピークに達した感があり、「10+1枚組」「ソフト付き」というキーワードで各社から種々の企画モデルが発表されていました。営業からも横並びツールとしての企画モノ要求が来るのは自明で、販売成績不振の理由にされかねない状況だったことや、なによりこちらも「悪のりしてみようか」という腹づもりもあって企画を提出してみました。

当時日本コロムビア(株)アニメ部から園田賢一作品のCD-ROMを発売する計画があり、タイアップでそのサンプル紹介版をHyper Cardとしてフロッピーディスクに収録添付しようというものでした。

Macintoshフォーマット済みFDの10枚組パックに添付という形で製品化することはすぐに決まったのですが、誰がHyper Cardサンプル紹介版をオーサリングするかというところで暗礁に乗り上げかけていましたが、結局はいつものように「言い出した者=自分」がやることになるわけです。発表されたばかりのHypaerCardバージョン2.0(このバージョンからスタックがカラー対応した)を使う方向で検討に入りましたが、いかんせん日本語版はおろか国内未入荷のものだったので海外事業部の出張者に無理をいって調達してもらいました。オーサリングにあたっては専従のMacintoshが必要になったのですが、会社に余分な機種はなく、仕方なくというか当然のように自分の部屋にある私物のMacでの作業になりました。「1週間、自宅勤務します!」ということで、全く異例の自宅プログラミングを強硬、さらに2日程かけてサンプル版のHyperCardスタックを作成しました。恐らくは国内で初めてカラー化されたHyperCardスタックだったはずです。何しろ日本語版が発表されたのは製品出荷の一週間前で、アップルからは特例での許諾を受けての製品添付出荷でしたから。

CD-ROM園田賢一 Visual Collectionのリリース告知と紹介サンプル5点、BGMを収録しました。CD-ROMの画面やテキストタイプの動きをHyperTalk とColor Layer で疑似再現するのは結構面倒な作業でしたが、何より2HDフロッピーディスク1枚に入る容量が1.2MBしかないのでデータ容量を削る工夫に一番時間を割いた記憶があります。
※スタックに使用されているイラスト画像の著作権は園田賢一氏にあります。

 

Macintoshと同時期に手にした「Windows1.0」は全くのガラクタに過ぎず、現在のような発展は95年「Windows95」登場以降のお話です。

フルカラーグラフィックス、デジタルオーディオ、そしてQuickTime(1992)という動画プラットフォームをパソコンで簡単に扱える時代が始まっていました。それでも「マルチメディア」という言葉がまだ一般的でなかったのは、パソコン普及率が未だ10%を超えたあたりだったからでしょう。

これ以降は、KDD研究所で扱うH263規格「QuarityMotion」で10分程度の動画をフロッピーディスクに収録してみよう…などという事もやっていました。そして情報化はインターネットに主戦場を広げていく時代に突入し、回戦間際の1995年にジブンも参戦することになります…(2002.12.13 追記)