国民が食い合う唯一の原資を失う社会

60年代日本の教科書には、天然資源を持たない日本は「加工貿易」の国だと記載されていました。半世紀が経過しても「モノを作って輸出して外貨を稼ぐ」以外にこの国の根幹を成立させている産業はありません。円高為替状況で「輸出企業の4割が生産拠点を海外に移すことを考えている」などとノンキな報道ですが、「モノづくりニッポン!」 再建化などもはや構造崩壊は必至の状況で、今度はTPP:自由貿易協定問題で一転大慌ての状況です。

 昨年のいまごろ「「モノづくりニッポン!」 〜笑えない冗談が現実に」で書いたように、安倍政権の頃から着手必須だった国内の「未来型構造改革」が頓挫したまま、根拠なき薄ら甘い標語だけが浮遊して今日まで通用しているのに違和感がある人は少なくないと確信しています。

戦後(というより国家成立以来)日本の産業構造は利を分配する多層構造を社会に巡らせて安定を収める、という特徴がありました。変動為替以降も各個の利を薄く削って多層構造を維持してきました。90年代以降の円高基調ではこの多層構造を一枚ずつ剥ぎ取りながら強固な産業構造、輸出競争力を維持しようとし、経済のグローバル化=世界基準受容」をキーワードとする小泉構造改革によって微層薄利にまでそぎ落とされました。同時に大企業のグローバル化は、経済的統治独立を意味していますから、日本企業と言われながら必ずしも日本国(国民)に利する視点や意識などを欠落させる行動原理に走らせることになりました。一枚岩の日本産業(多層構造)をぶっ壊した、これがいわゆる小泉-竹中構造改革の極悪と言われる部分でしょうが「ぶっ壊した」後の旨いシナリオがあれば時代の推移は変わったかもしれません。しかし最悪なことに「ぶっ壊した」直後に小泉-竹中路線が否定され(あったかもしれない旨い)シナリオを継承する政治家もいませんでした。

今日では、義理と人情に支えられた一枚岩の日本産業という考え方は見る影もありません。それはそれで生きる道はあるでしょうが、社会ルールのレジームチェンジが宣言されないまま薄ら甘い前世の縁を引きづっているところに現在の日本産業のジレンマがあるように思います。

産廃輸出で財を築いている(母国では路上生活者だった)在日イラン人は言います。「日本人(気質)というのは、技術を換金する術の発想力が貧困過ぎる」と言います。<技術的には世界トップクラスを堅持する多くの産業が外貨を稼げない構造>というのは自動車・家電製品で言うところの「コスト=賃金基盤」に由来するところだけではないようです。

為替(円高)をコントロールできない以上、農水産業にとって極めてネガティブに働くTPP締結に動く以外に、こらえ性の無くなった輸出企業を国内に留め置く(競争力を維持する)術はないのだと連呼するシロウト並のコメントしか出せない経済アナリスト、穀物自給率や安全性、農水産業保護に配慮すべきだと「慎重な議論の時間」を要求するジツは何も思いつかない政治家、「人の不幸は蜜の味」とばかりに群がり無責任に吠えまくるマスコミ、この繰り返しがまたしばらく続きます。

パズルを読み解く賢者が現れない限りこの国の未来は依然暗いです。