日々の雑感〜階段外された18歳がぶち当たるオトナの壁〜

2022年4月1日から成人年齢が引き下げられ「18歳でオトナ」となった。
明治以来140年、成人と言えば20歳だったのだが、果たして社会的に、家庭的に、本人的にそれはどうなんだろう...

基本的に成人になると多くのジャッジが自分で出来るようになるのだが、18歳になってやりたいことのトップが「クレジットカードを作る(45%-NHK調べ)」だし、日本では7割近くの18歳が「自分はまだ子供」とのアンケート回答なのだからちょっと思いやられる。
心配過ぎて当たり前なんだが、もう走り始めた新成人にはそれぞれのオトナの壁も待ち受けているだろう。そもそも「20歳成人」だった頃は高校卒業してからの2年間、猶予と訓練と準備とモラトリアムな時間が「オトナへの階段」として用意されていたハズなんだが、果たして高校生活のなかでの知識だけで登れる程「オトナへの階段」は緩やかであろうか?

昔に比べて情報だけは溢れかえっているので 彼らもオトナの社会は「失敗を許さない社会」であることを薄々は感づいており、コドモの社会との対比として猛烈なブーイングがあるらしいが、冷たくジャッジを迫るのがオトナの社会と言うもんです。理想主義者の平和で平等な社会思想が引き起こす矛盾への解を探すより”冷たくジャッジ”する方が合理的で済まされると考えるのが今のオトナの社会です。

今年の新成人以降に同情してしまうのは、学校生活や青春時代をオトナの都合で新型コロナ対策に台無しにされてしまったことで、もしかすると人生で最も輝いたかもしれない想い出無しにオトナを迎えてしまうこと。果たして迎えたオトナの社会は意外や自由とは無縁な無味な大地と一点張りに冷たい風に晒され、強欲に染まった地平しか見渡せないトコロに感じられるかもしれません。大きなお世話と言われそうですが、歳を重ねたオトナほど「悔いのない人生を」と釘を挿したがるモンです。何を選んでも後悔はついてまわるのがオトナの社会だと解っているからどうしても口から溢れる。
「さぁ嘆きの劇場の幕開けは2年早まりました。どうか悔いのない人生を...」
と老いたオトナ達はほくそ笑んでいるのかもしれません。

ただね、どんな風に塗り重ね残った人生の絵図も自分の解釈次第です。幾ら他人が不幸の絶頂に感ずる嘆きに出会っても、馬鹿々しいほど些末なコトに思えるくらいに逞しくなれば鮮やか色に染めることは可能です。アカデミー賞のトロフィーを質屋に入れるほど困窮してしまったヒトの人生の最後は思いの外ほっこりしていたし、何億円も稼いだのに騙されて家を何度も取り上げられ知り合い宅に居候となってた友人は、最近無一文で追い出されて「どうしよう」とLINEしてきましたが、定年退職の歳になったジブンがやれることはほとんどありません。「なんとか生き延びろ!」と返信してたら1週間後「なんとか生きてます!」と結構に無頓着に人生を楽しんでいるらしい。「楽しんでいる」は語弊があるやもしれませんが「前向き」とは言えます。

新成人には、どうか面白おかしい残酷な経験を乗り越えて、新しい社会現象を巻き起こしてくれることを切に願います。