日々の雑感〜国産日本丸の沈没

イーロン・マスクTwitterの「言うに及ぼないことだがあえて言うなれば、出生率が死亡率を超えなければ、結局日本は生きながらえない。これは世界にとって大きな損失だ」は日本消滅予言としてちょっとだけ世間を賑わせましたが、そんなことは20年以上まえから統計的に予測されていたことなので「何を今更」な感想しかないのですが、

脱炭素騒動にまつわるレジームチェンジや ロシアのウクライナ侵略戦争を眺めながら、あらためて日本のバブル時代と崩壊以後を思い浮かべてみました。

当時エンジニアしていたジブンなんかに言わせると、戦後高度経済成長期、国産日本丸「24時間働けますか」の合言葉が80年代の技術立国ニッポンを支えていたようにも思えます。
企業の勢いもプラザ合意後の円高にも屈せず、公定歩合の引き下げ、土地担保融資の幻想的錬金術で経済を回そうというイケイケどんどん。それがバブル栄華という時代を作りましたが、所詮は幻想的錬金術で作られた富、90年代に入り馬鹿な役人の金融引き締め政策で株価暴落と同義に一瞬で失われてしまった...のですが、山高ければ谷深しのごとく企業ショックは予想以上に根深く、二度と「国産日本丸」の御旗を掲げる気概を失ったかに見えます。

80年代はニッポンは、世界が追いつけないスピードで独走してルールを書き換えていた時代でした。バブル崩壊以後いまは「グローバル・スタンダードが効率的」と反省させられたんでしょうね。どこぞの誰かが決めたルールを後追いするばかりで戦略的な意図は見えてきませんし、エコノミック・アニマルと揶揄された攻撃性など微塵も感じません。

中国人が言うトコロの「上有政策、下有対策」の実践が今の中国の勢いを作っているのは間違いなくて、中国がルールを作る気満々で世界を圧っしています。

まっしぐらに人口減ったのは
・バブル崩壊以後、国も企業も個人も未来への勢いを失った
・賃金が上がらなくなった
グローバル・スタンダードを蒙昧に追ってしまった

この3つかなぁ.... グローバル・スタンダードは何も産業基準だけの話に留まりません。バブル崩壊以後は文化的、倫理的にもグローバル・スタンダードを蒙昧に是としてしまった社会が到来。単純に「結婚」は経済的な損得勘定と夫婦のポジションの綱引きで語られるようになってしまったので、若い頃からそんな面倒を引き受ける人はいなくなり、それを露骨に問題視するオトナもいなくなりました。元々バブル崩壊、リーマンショックで戦意消失、生き残りしか頭にない企業からは、ネガティブ情報だけがネットに溢れ白々しく現実と乖離した「明るい未来」なんて誰もまともに信じていません。バカバカしく刹那的な歌詞を連呼する歌い手が「共感」指示されるのもそんな時代を映しているのかもしれません。単純に産業の未来の話で済む話ではなくて、この時代の生き方を指し示すオピニオンがなんだかおかしなコトになってるんでしょうね。

価値観が180度くらい転換してしまったニッポンですから、かつての「国産日本丸」を浮上させるのは難しいように思いますが、偶然か天の采配か、現在の為替状況はバブルきっかけとなったプラザ合意当時と同水準の円安(1ドル=150円、ながら当時は円高と言われました)「我ニ救国ノ策アリ」という坂本龍馬は何処に...であります。

かつてのエンジニア時代には磁気製品部門のリスペクト対象であったTDK、底力は比べるべくもなかったですが、いまや「ニッポンのものづくり」のお手本のような会社です。