松本人志の”辛いことも笑いがあればへっちゃら”な欺瞞〜辛いことに笑えなくなる病
昭和の昔から松本人志は「辛いことがあっても笑いがあればへっちゃらなんです。だから世の中お笑いでいっぱいにしたいんですよ」を公言して、それを持ち上げるテレビも呑気な一般人のシュプレヒコールも、辛いことに笑えなくなる病なヒトを幾人も見てきたジブンにはすごく欺瞞に聞こえたモンです。最近の一連の痴態事件を見ていると欺瞞な”昭和あるある”が通用しない世の中になってるのに、用心しなかった初老のおじさん二人組の哀れさしか思い浮かばないです。
哀れな初老のおじさん二人組:松本人志61歳、中居正広52歳
男尊女卑な昭和から男女平等な平成、令和の時代は...
一般論としては、時代の流れに沿って「男尊女卑な昭和から男女平等な平成」に移り変わって行ったんだと言われますが、1947年に日本国憲法発布以来「男女平等」を謳っています。GHQ統制の米国流理想主義的思想教育の成果もあってか、少なくとも戦後生まれの世代(昭和20年〜)にとっての昭和にあからさまな男尊女卑があったようには思えないですが、もちろん旧態然としたオトナ達が子供に与える影響は大きくオウム返しな振る舞うヒトが結局多かれ少なかれ男尊女卑習慣に育ったことは間違いない。ただバブル興隆と共に男も女も狂乱した末期には、前時代的な男尊女卑の概念は当てはまらなくなっておりました。
男女平等が強力に推進された平成という時代、バブルの頂点から真っ逆さまに落ちて長いトンネルをくぐった時代でもあり、ジブン的には感慨深く言えば「男が黙った」時代かなぁ... 静かに女性の”権利”が明文化されて、それまでフツーと思われていた男女の仕事の棲み分けにも大きな変化があって、ただかなりギクシャク非効率が際立つ変化ながらも男は黙っていることを強いられた...気がします。
令和の時代、欧米礼賛な人達によって「SDGs×ジェンダー平等」が提唱され企業ぐるみでそれを指示してたりしますが、果たして性差を無くした生き方というものが成立するのか甚だ疑問で、もはや男女の垣根無く「行き過ぎ」を主張するヒト達も少なくない世の中。もはや現代病と認知されている「うつ」の多くはコミュニケーションに起因すると言われていますが、時代の動きに無関係では無いはず。
ただ生き残っている多くの昭和世代はそんな面倒くさい話につきあう余裕もなくただただ黙って自分たちの今と明日を考えております。
昭和な損得勘定で振る舞うおじさんは...
哀れな初老のおじさん二人組:松本人志61歳、中居正広52歳は、たぶんに昭和な損得勘定で振る舞ってしまったのでしょう。こんな事件は大昔から一般社会でも日常茶飯事ですが、昭和の時代から何が変わったかと言うと”簡単に訴訟になる”ということ。昭和の時代に一般人が訴訟にまで発展させるケースは稀。背景に男尊女卑な価値観が漂う昭和では「女性の方にも隙があった」と同性からも責められたり、そもそも訴訟になれば「世間に恥を晒す」と同義に捉えられていた時代でしたから、女性もそんな損得を弁えた対応に終始することがあたりまえだったし、男もそんなコト織り込み済みで振る舞ってた気がします。
女性が泣き寝入りするコトがない時代になった、とは言えるかもしれませんが、果たしてそれはただただ良くなったことに繋がっているだけとは言えない気がするのはジブンだけでしょうか。疑心暗鬼な男女の契約社会にマッチングアプリを手掛ける知り合いは「偶然性はまず無い」と言います。性的垣根が著しく低くなった社会なのに出会いは「仕組まれた」カップルにしか許されていないらしい。
昭和的な思い込みと”辛いことも笑いがあればへっちゃら”で何でも片付けられると勘違いしている松本人志61歳、何でも揉み消してくれたジャニーさんがいなくなったのも忘れて昭和的な無礼講を続けた中居正広52歳、もう世間では通用して欲しくない二人組です。