神々の古代史に見る武蔵国・埼玉のはじまり〜出雲族が海から上陸して拓いた氷川神社

九州・博多の地から東に転々移住しながらたどり着いたジブンと四国・讃岐の地から東京に流れ着いたウチのつれあいが安住の地としたのが埼玉・大宮という土地であります。如何せんそんな出自でありますから移住してしばらくは武蔵国などに愛着などござんせん。しかしながら半生を転々移住してきた身にも20年以上の定住履歴となるとそれなりの愛着や関心も湧くというモノ。今年のはじめに開催された「見沼の里 2025新春講演会 」は、武蔵国・埼玉への郷土愛をいや増すイベントでありました。

 

神々の古代史に見る武蔵国・埼玉のはじまり

さいたま市大宮にある武蔵一宮氷川神社は、約2,400年前に創建されたと伝えられていますが、そんな神々の古代史に登場するような人物達によってホントに創建されたのか?と眉につばつけるようなお話、義務教育で習う歴史の時間で言えばものの数分で通り過ぎてしまうお話やもしれませんが、暇に任せて改めて耳を傾け目を見張ると実におもしろいモンが見えてきます。

6000年前の関東平野旧海岸線

東京・葛飾区史にある縄文時代(6000年前)の関東平野旧海岸線図を見ると、さいたま市大宮・浦和あたりは海岸付近に位置していたようです。更に武蔵一宮氷川神社の創建にあたる約2,400年前の弥生時代でもこの旧海岸線だったようです。試しに海面シュミレーターFlood Mapで現在の関東平野の海面を13m上昇させてみると...

 

出雲族が海から上陸して拓いた氷川神社

ほぼほぼ関東平野旧海岸線図と同じような海岸線になります。現在のさいたま市大宮にある武蔵一宮氷川神社との位置関係を拡大すると....

 

なるほど「見沼の里 2025新春講演会 」で茂木誠さんの講演でおっしゃっていた「出雲族が海から上陸して拓いた氷川神社」というお話もさらに実感できるというモンです。

いまでは「海無し県」と揶揄されることもある埼玉ですが。かつて神の国の時代には深く入った関東湾に張り出した半島に社をいただき、神沼の田園と海の幸豊かな大集落:大宮であったやもと想像してしまいます。