博多山笠〜なんくせは博多っこの純情〜わかり合うための作法
博多を訪れるとウチのつれあいがいつも感じるのが「なんで喧嘩しながら話すの?」です。
博多弁全開で話すジブンと友人達や妹との会話はすべて喧嘩腰、それこそなんくせつけながらの会話に聞こえるらしい。なるほど方言を共有する周囲の町の人間からしても福岡・博多のことばは"荒い"と聞いたことがあります。改めて思うに文化圏が違うのです。東京都内で”江戸っ子”を気取るのと似ているようでちょっと違う「嘘話を楽しむのぼせモン〜博多弁はもともとそんな背景を了解して話される言葉」の続編です。
6月梅雨の時期がホタルの季節なら、7月は山笠たい!と答えるのが博多っ子のエチケットと言うもんです。
かつて福岡市・祇園町西交差点にあった淵上百貨店でウチの親父が紳士服の仕立てを引き受けていた頃は、ジブンも山笠に混じって駆け回ったもんですが、いざ山をかく(担ぐ)程の歳頃には関東に飛んでしまい凛々しい後ろ姿の一員に加わることもありません。
「山笠があるけん博多たい」(wa★daフォトギャラリー)
実家住まいの頃、山笠の期間中(7/1〜15)はこんな格好で街中をさるく(ブラブラ歩く)人間を多く見かけました。ホテルのロビーや百貨店、映画館、火葬場でだって見かけました。山笠の期間中はこれが正装です。文句は言わせないし誰も文句を言わない...というのが半世紀前の習わしだったんですがいまはどうなんだろう。山笠が「博多櫛田祇園宮夏期例大祭」という奉納行事であって神社のお祭りではないというのが関係しているかもしれません。昔は「遊び半分でやるっちゃなかぞ!」とじいさまに怒られたりしました。
山笠最終日7月15日の早朝午前4時59分に始まる「追い山」の参加者は4〜5千人、観戦客数は数十万人という大所帯でのクライマックスです。のぼせモン達の真骨頂が発揮される瞬間でもあります。
昔で言うところの博多は呉服町近辺から博多浜にかけての小さな集落であって福岡市博多区のことではありません。明治政府に「博多市」を取り消された話や国鉄の玄関口「博多駅」にこだわった話に熱弁を振るったお年寄りは少なくなってしまったでしょうが、元々博多の商人と福岡の城下町あたりの町民はそりが合わず、それこそののしりあいは日常茶飯事だったかもしれません。
ただ博多に囲いがあったわけでもなく、そんな気質は伝染し一帯で共有されていったのではないでしょうか。そして元々古くは元寇、西南戦争、太平洋戦争の戦場となった焼け野原を共に歩いた戦友ですから、嘘話を楽しむのぼせモン〜博多弁はもともとそんな背景を了解して話される言葉に書いたような嘘話とも冗談ともつかない会話を楽しむ気質に変わっていったのではなかろうか、というのがジブンの思いです。
「あんひとは北九州市の人ね、北九州はいかん!あそこは(スモッグで)肺の中真っ黒やろが...」当人がいないトコロでこんな言葉から始まる会話はナンセンスですが、福岡・博多ではよく話される会話のはじまりの悪気のない接頭語に過ぎません。北九州が隣町に代わることもあります。友人知人わかりあった仲間内や親族の間で交わされる日常の「ののしりあい」は、互いを低きに置いて腹を割って話そう、という作法に過ぎません。(日常会話が酒席の会話と思えばそんなに違わないような気もします)
「すまし顔で事を済まそうという人間には懐疑的」といういやらしい性格とも言えますが、もちろん百万都市に膨れあがった福岡の人間が皆そうであるはずはないです(笑)