人権〜そもそも国家にモノ言う個人の権利〜酷暑の昼下がりに2チャンネル朗読

大津いじめ自殺事件は「大津いじめ殺人事件・大津疑獄事件」へ発展しそうなネット上での勢いも、実際にはいっこうに進展なきままマスコミ・行政関連団体は風化、流行に流されるのを待つかのようにも見えます。

泥臭い話の深掘りにはフェースブック等のSNSは似合わないようで、もっぱら2チャンネル情報の方に真実らしきものがあります。もちろん嘘もデマも誹謗中傷も盛りだくさんで醜い場所ではありますが、そんなモノを扱うにふさわしいとも言えます。ジブン的には2チャンネルの混沌こそ正しい世論の反映だと思っています。

大津いじめ自殺事件、渦中の教育委員、学校関係者らが連呼する「人権保護」を聞いて「またいつもの都合のいい煙幕かい」と訝った人は多いと思います。そもそも「人権」というシロモノ、擁護されたり、尊重されたり、ましてや保護されるというのに馴染まないのではないか、なにかの勘違いか、なにかのすり替えに使われることの多い言葉のようにジブンには思えます。

現代に至って「人権」というコトバは「法哲学の論争の淵源」と言われるほどに混沌なモノ。憲法でいうところの「基本的人権の尊重」というくだりが肥大・拡大解釈・水戸のご隠居の印籠に使われている節が多分にあり、幼児向けの説法理解のように使われるようになれば陳腐に至るというもんです。

 既に2チャンネルでは加害者とされる家族や職務をまっとうする気がないとされる学校関係者は”村八分状態”で、これをよしとは思わないまでも、不条理と思える行政に対する人権の発動と言われたら、そうかもしれんと思えるほど事件の背景は後暗いです。