個人の利害に過敏で臆病な社会

「これまでどうりになっていない現在」を10年前の小泉・竹中構造改革の成果だと揶揄・中傷し、政治にその修正を求める人は多いのですが、グローバル経済のパラダイムシフトは政治に無関係に進行して日本を直撃しています。小泉以後の政治はなんら有効な手立ても考えずに「これまでどうりになっていない現在」の不安解消に奔走しただけで、現実はなにも変わりません。そんな社会の10年を眺めて、良くも悪くもつくずくこの国はアンフェアな社会だと感じています。

個人が生きやすい世の中を願った「多様な価値観を尊重する社会」という考え方は、この国ではどうやら「波風立てずにもたれ合っていく社会」という形でしか成立していません。「業界」とか「組合」とかが利権や既得権を強固に連帯して手放さない姿は、外国から見ると不思議な社会主義の国という見方をされています。しかし実のところは個人の利害に過敏で臆病な社会、というのが実態ではではないか? 貧富に関わらず個人の利害に過敏で臆病な人達というのはどの国にもどの時代にも存在するはずですが、長期不況でゆとりの失われた社会はことさらそんな人間を蔓延させた、と言えます。

そんな社会は安易に「アンフェア」に加担してしまいます。なにが「フェア」でなにが「アンフェア」なのかは議論百出するでしょうが、まさに政治が決めなければいけない線引きであり基本ルールであるはずです。再び10年前の小泉・竹中が提唱した「規制緩和」「構造改革」というキーワードが浮上し肯定的に取り上げられつつありますが、今度こそまともな議論になるのか...はまだ解りません。