満州国・ハルピンへの想い〜「フイチン再見 -村上もとか-」で母の話を回想する

ジブンの母はもう15年以上前に他界しておりますが、生前は年末になると母が幼少期に疎開していた満州国・ハルピンの冬の話をよくしておりました。

ハルピンは、中国の最北端にある黒龍江省の省都。一度は尋ねてみたいと想いながら、数十回の中国出張・観光がありながらもまだ行ったことがありません。いまでは格安航空便も就航しているのに...

先日、昭和の戦時前後のハルピンを舞台にする「フイチン再見 -村上もとか-」を読んでおりましたらすっかり忘れていた「母が幼少期に疎開していた満州国・ハルピンの冬の話」のくだりが幾つも想い出され、当時話だけでは理解し難かった状況や風景がボンヤリ頭に浮かんできて、話を聞いていた頃の我が家の情景も合わせて想い出されてふいに懐かしゅうございました。

当時の満州国・ハルピンでは日本人、ロシア人、朝鮮人、中国人が雑多に共存していた風な話を聞いておりましたから、子供のジブンには理解が追いつかない話だったのですが、「フイチン再見 -村上もとか-」のシチュエーションやネットを通じての資料を漁るとなるほどと思える風景が見えてきます。

満州国建国に掲げた「五族共和」は正当を偽る大日本帝国の政治プロパガンダに過ぎなかったんだという一言で済まされているお話しの実際は、もっと極彩色の強い有り様だったと今では想像します。いまだ教育界ではGHQ統制下の頭が支配するのか【明治-大正-昭和初期】の歴史が深掘りされないのはもったいないといまさらながら思ったりするのですよ。

 

 

満州国・ハルピンへの想い〜「フイチン再見 -村上もとか-」で母の話を回想する” に対して3件のコメントがあります。

  1. JIm より:

    筆者様

     私も、記憶の引き出しに入っていた、今は亡き(昨年没)母が幼き頃(8~14歳頃)、大陸の大連に居た話を聴いた事を思い出しました。その話を思い出しました私は、もう、大陸に24年も住んでいます。母の住んでいた大連ではありませんが・・。大連の、そして哈爾浜(ハルピン)の冬、私の母は大連にしか居ませんでしたが、大連の冬、大きな商家では、「オンドル」(要するに床暖房)が施されて、寝る時はシャツ一枚でも暑い位だったと、母は申しておりました。

     所で、「明示・大正・・」「明治」が「明示」になっていますよ(^^)。

    JIm、

  2. inmycab より:

    >Jimさん

    ご指摘ありがとうございます 修正させていただきます
    文章の並び含めてちょくちょく誤爆しておりますが、ご勘弁ください(笑)

  3. Jim より:

    筆者様

     私も、人様のblogのレスや、メールで、思いっきり誤字・脱字なので、人の事は言えません(笑)。

    Jim,

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