日々の雑感〜頑張れば頑張るほど生産性が低下する日本という国〜竹中平蔵 & デービッド・アトキンソンの退屈

”失われた30年”について、田原総一朗ばりに延々と話を続けたがるヒトは少なくないですが、腑に落ちるほど的を得た解説を聞いたことがありません。”日本は生産性が低すぎる”と連呼するヒトに「どうすればイイですか?」と素朴な疑問をぶつけても、同様にお馬鹿な返答しか期待できません。最近では”A.Iをもっと活用すれば”と口から飛び出るヒトも実は何も解ってない無茶振りするだけのヒトだと知れるのですが、それは”働き方改革”のなかのど真ん中にも潜んでいるコトです。

みんなの介護 掲載記事から転載

ときに”失われた30年”の主犯とも言われ「健全な競争が必要」をモットーに持論を展開する竹中平蔵というヒト、言うことはイチイチごもっともなんですが、あまりに日本人が解ってない...と思えるフシがあって、大抵の日本人には”屁理屈”にしか感じられないのは何故か、本人はじゅうぶん感じているはずなのですが、20年前から進化するワケでもなく現在の話の中身はオウム返しのようにベタです。

 

元ゴールドマン・サックス取締役 デービッド・アトキンソン

短絡的には「中小企業は潰れるべき」が持論なヒトで、頭の根っこの思考はたぶん竹中平蔵氏と同じようなモン、生産性とGDPを上げればみんなハッピーなコトはみんな知ってるのだけれども日本人はそうは動きません。

「常識的に考える」のは、論理的思考の最大の足かせ

「イノベーション」という流行語とは裏腹に、デービッド・アトキンソンの著書「日本人の勝算」の解説でも述べられているように、ヒト(日本人)は実際のトコロ非常に保守的(常識的に考える)なあまり”絵に描いた餅”に飛びつこうとはなかなかしないものです。

竹中平蔵氏の言う「健全な競争」というのがどんなモノなのか実際のトコロ判然としませんが、少なくともこの国の中小企業は昔から「激烈な競争」で成り立ってきました。しかしながら”和を持って尊ぶ”この国では疲弊はしてもなかなか淘汰されるまでいかないしぶとさがDNAに備わっています。

政府の中にも”頑張る中小企業応援団”なる施策があり、早い者勝ちに執行するだけの行政機関では疲弊にあえぐ”頑張る中小企業”救済ミッションに多大な税金が投入されています。

「健全な競争」は、淘汰と再構築(スクラップ&ビルド)が期待出来なければただのミスリードにしかなりません。デービッド氏の言う「中小企業は潰れるべき」はまさにそういう流れで合理化を進める瀬戸際だという警鐘にも聞こえますが、いかんせん日本人のDNAとも、バブル経験の後遺症とも、失われた30年での達観とも言える

2018 名目GDP 国別比較(GLOBAL NOTE

「日本はもはや先進国ではない!」と言う経済評論家もいて、週刊誌見出しも出るくらいで確かに伸び率は最低レベルにジリ貧ですが、名目GDP上はまだまだ大きな数字を持っています。だから話題はこの「最低レベルにジリ貧」のアラ探し因子として「労働生産性」が指摘されるワケですね。

「労働生産性を上げる」短絡的な話として、IT活用の推進や賃金抑制、労働時間の短縮みたいな話が繰り返されますが、コトはそんなに単純でもなく安易でもありません。

頑張れば頑張るほど生産性が低下する日本という国

日本の保守性は平和の賜物みたいなモンで、典型的には日米貿易協定で「コメは除外」にあるように合理性という屁理屈を寄せ付けないトコロがあります。
良くも悪くも頑張るヒトを闇雲に応援する気質も伝統的であります。
「金に換えられない仕事」が価値を生むと信じられていたりします。
政府のもの言いや旗振りも結局何がしたいのか解らないくらい 選挙民におもねったもので、未来のビジョンのかけらもありません。

”系列”というコトバに代表されるように、この国は無数の中小企業のピラミッドで支えられて、それが強みであったこともありました。ところがこの国では「健全な競争」より「耐え忍ぶ談合」が”頑張る”と介錯されたりします。それこそ「みんなで渡れば怖くない」的に頑なに「頑張れ!ニッポン」を連呼している限り、デービッド・アトキンソンが望むような淘汰・統合再生は起きないし、竹中平蔵の薄ら甘い言い回しで「健全な競争」が生まれるハズもないです。

アイルランドやルクセンブルグの「労働生産性」が飛び抜けて高いのがコトバ通りのことを意味していないのは明らかですが、所得の額に関わらず労働時間に見合った収入があれば労働生産性は上がるモンです。

不労所得を推奨しよう

「労働生産性」だけに着目すれば、生真面目で昔気質な日本人は皆顔をしかめるでしょうが、政府なり社会がもっと個人の不労所得獲得を応援するのもいいかもしれません。

不労所得と言えば聞こえは悪いですが、貯金や投資等の金融や特許権、著作権と社会的に認められているものも不労所得、”汗水たらしてナンボ”な社会が道徳的に推奨されたのは遠い昔の社会であり、ブローカーの口利き契約=情報取引、対価と介すくらいに個人の不労所得を容認・推奨できる社会が必要な気がします。

企業なり雇い主の利益を確保するため低賃金労働力として外国人を入れよう、みたいなことでは「労働生産性」は上がりません。また竹中平蔵 やデービッド・アトキンソンが語っている中身は旧社会の労働効率を上げる範疇の理屈に過ぎず、現代の日本にはもっとお金を効率よく循環させるための新しいルールが必要です。