ウチの親父の時代〜自動二輪免許のおまけで運転できた軽自動車〜普通自動車免許は限定解除試験で取得

昔、自分が幼稚園の入学式の時に。両親と記念写真を撮ったバックに写っていたマリンブルーのマツダ初の四輪車R360クーペ。1960年当時格安の30万円とは言え、大学卒初任給1万5千円の時代ですからクルマがあるご家庭はまだまだ少なかった時代、たぶんジブンが幼少な頃の当時の我が家はまだそこそこ裕福でありました。

 

ジブンが中学生くらいのときにそんな当時の記念写真を眺めながらR360クーペがやって来た経緯を親父に聞くと「軽自動車免許が(自動二輪免許の)おまけでもらえたから」と話しておりました。

1950年代(昭和25〜昭和35年)当時は運転免許精度が目まぐるしく改変されていた時代で、軽免許の上位にあたる自動二輪免許を持っていると軽免許枠「360cc以下の三輪・四輪車、125cc超~250cc以下の二輪車」の運転も出来たそうです。
昭和40年に軽免許が廃止されると親父の場合、今度は普通自動車免許が自動的に付いて来たのですが「360cc以下の軽自動車に限る」と但し書きされていました。
昭和51年、軽自動車の規格が550ccに変更されると免許センター(警察)から前述但し書きの「限定解除の試験を受けて欲しい」旨の通知が届いてノコノコ試験場に行き、とりあえず試験場をクラウンで1周する名ばかりの試験を受け、親父の免許証は晴れて但し書き無しの普通自動車免許に書き換えられました。

だから大昔の我が家には、マツダ・R360クーペ →マツダ・キャロル →ホンダ・N360 →ホンダ・ライフと軽自動車ばかりの変遷が並び、普通車がやってくるのはジブンが家を出てからのことでした。

 

運転免許の歴史」より抜粋

そもそもウチの親父は中学生の頃「許可証」を警察で発行してもらってバイクに乗り始めた(昭和25年頃)ヒトで、メグロとか勝手に乗ってたからしばらくしてすぐ自動二輪免許を取りに出かけるわけですが、特に今みたいな厳格な試験があった訳でもなく、とりあえず試験場コースをメグロで一周出来たらもらえた、みたいなことを言っておりました。

運転免許試験のうち技能試験のみが免除となる「指定自動車教習所」いわゆる自動車学校が普及するのが1960年代、高度成長期「モータリゼーション」で交通事故が社会問題化するにつれ免許取得は厳格化したらしい。

 

ウチの親父時代のマイカー遍歴

マツダ R360クーペ

後年のマツダ・コスモスポーツにも通じる”近未来スタイル”の軽自動車。ほとんど二人乗りの室内スペースで後席にぎゅうぎゅうに押し込まれて一家で海水浴に出かけた記憶が薄っすら残っております、

マツダ キャロル

さすがにキャビンの狭さに懲りたのか数年後にやってきた4ドア軽自動車。ただ親父の仕事に最大の事件が起こってわずかの期間しか我が家にいなかった...のでほとんど乗車の記憶がありません。

ホンダ・N360

親父の仕事最大の事件勃発でもはや新車購入がおぼつかない事態になった我が家、それでも親父が再起を期して持ってきたのが中古のホンダN360。”我が家は貧乏になった”を現実的に認識したジブンは、小学4年生になとと新聞配達を始めます。自転車も自前で月賦購入、これ以降”親からおこづかいを貰う”というのは極めて稀なことになりました。

ホンダ・ライフ

連日酷使された中古のN360に代わり、ジブンが中学生の頃我が家にやってきたのが、中古のホンダ・ライフでした。高校生になった頃、無免許で近所を運転練習したことも...

その後、ジブンが高校を卒業して郷里を離れた後、初めて軽自動車以外のクルマ、新車のトヨタ・カローラがやってくることになり、2代続けてトヨタ・カローラを乗り継いでいたようです。

 

現在の運転免許取得の皮算用

「指定自動車教習所」いわゆる自動車学校に通う場合、現在ではだいたい普通免許:30万円、大型自動二輪:20万円くらいは最低限掛かるみたいです。ちなみに運転免許試験場に行って技能試験を受けて取得を目指すと...1/50位で済ませられる可能性はあります...

普通一種:試験手数料:3,350円
(免許交付手数料:2,050円)

大自二・普自二:試験手数料:4,050円
(免許交付手数料:2,050円)

原付:試験手数料:1,500円
(免許交付手数料:2,050円)
(原付試験に合格すると原付講習受講料4,500円)

警視庁:運転免許試験

 

ちなみにジブンが自動二輪免許を取得した1974年頃、高校入学間もないジブンには大金はたいて自動車学校に通うなどという選択は出来ませんでしたから、ウチの親父よろしく密かに”技能練習”して運転免許試験場に行くことに。試験手数料は現在の1/2くらいだったような...

受付で聞かれるんです「今日、学校は?」「文化祭で休校なので...」受付のヒトもそんな嘘を流してくれるおおらかな時代でしたが技能試験は甘くないです。5〜6回通うのは当たり前、10回以上試験場通いする者も珍しくありませんでした。ジブンも1回目の技能試験では周回コース半場で「検定中止!」のアナウンス。全体の合格率は20%も無かったような...

その後合格者を観察して傾向と対策を練り、2回目の技能試験にのぞみます。当日は陸上自衛隊の新人自衛官も制服で5人ほど参加しておりましたが....全員「検定中止!」「不合格」と当日の試験官が厳しそう...ジブンの番が回ってきてなんとか周回コース走行終了、試験官査定を受けに出向くと「技能試験は何回目?」「6回目です!」と虚偽申告のあとやや沈黙後「ギリギリ合格かな...」と実際は2回目の技能試験で自動二輪免許を取得出来ました!

普通免許も運転免許試験場に通う気マンマンでしたが、大学バイトで懐に余裕があったのと、当時運転免許試験場までがかなり遠いこともあって大枚10万円程払って素直に「指定自動車教習所」であくびしながら、底意地の悪い教官に当たることもなくストレートで終えられて、それなりにミニマム出費で普通免許取得しました。

 

ウチの親父の時代〜自動二輪免許のおまけで運転できた軽自動車〜普通自動車免許は限定解除試験で取得” に対して1件のコメントがあります。

  1. 黒羊 より:

    嘘の申告で合格できたのは幸運でしたね、私の受けた92-3年頃はしっかり受験回数が管理されていて、オマケに幕張免許センターには最低受験回数10が裏ルールとして決められていたので合格できませんでした、これは公然の秘密だったそうです、当時合格した人が白バイ隊員から聞いているので間違いなさそうです。

コメントは受け付けていません。