日々の雑感〜「獣になれない私たち」が妙に面白いです〜リアルと勘違いと嘘話

一部で「今年放送された連続ドラマのなかで1、2を争うクソドラマ」と評される新垣結衣、松田龍平ダブル主演の連続テレビドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)が最終話を迎える。

『獣になれない私たち』公式サイトより

テレビの連続ドラマを楽しみに待つ生活を送っていない我が家では、幾つかの理由でピックアップしたドラマだけ、最終回に近い段階で初回放送分をチェック「見れそう...」なドラマだけ集中的にイッキ見するスタイルです。

9話までを休日イッキ見したジブンには、「獣になれない私たち」は現代だったらリアルにありそうなお話をリアルにありそうな勘違いな会話でつなげたドラマに感じておりまして、あえて最終回に「下町ロケット」の大逆転痛快ストーリーや、嘘芝居な恋愛ドラマのハッピーエンドを全く期待しておりません。むしろ勘違いな文言並べてゼロスタートを観念するくだりくらいのいわゆる「クソドラマ」な最終回であった方が腑に落ちてくれるのですが...

IT会社の社長が孫正義に見えて、世間で褒めそやす人物の廻りの実際はこのドラマのような惨状だろうなぁと思ったりします。若い頃のジブンの飲み屋での会話風景からの出来事と重なったりするのですが、顛末はずいぶんと違います。松田龍平が話す嘘話はホントと勘違いと照れ隠しと本音の吐露のないまぜであると共感してしまいます。プレゼンの実際の意味は、滞りなく進行し支障なく任せられるという印象をクライアントに持ってもらうコトだったりするのは大抵の場合ホントです。ジブンの昔と今を行ったり来たりする様が「妙に」面白いだけかもしれません。少なくともジブンには下記記事のようなクソさ加減は伝わりません。

視聴率は最低らしいので一般視聴者には「おもしろくない」ドラマの類なんでしょうね。わざわざ「今年No.1のクソドラマ」と評するなかには「現実が甘くないことくらい誰もが知っている」からそんなモノは見たくない=低視聴率と言われておりますが、仮に問題解決な最終回があったとしてもやはり「現実が甘くないことくらい誰もが知っている」のであって、取って付けたような戯言に溜飲を下げるヒトなんかいるのだろうか...

昔の青春群像ドラマ並にクソだと言うならなんだかうなずける気もするし、落とし処を見つけられないエンディングな”後付名作日本映画”はたくさん撮られてきましたから、低視聴率=クソなドラマ(商業的失敗作)であることは数字のとおりとしても、中身の解釈や評価は後から書き換えられることも多いし、なにより楽しんでいる10%以下の視聴者には不快でノイジーな記事であることは間違いないですね。

 

このサイトだと初回からイッキ見できます。

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最終回はTverで視聴

最終回はお約束程度の必要ない付け足しで
ある種腑に落ちてくれました、

「なんで強いられないといけないんだ?」

自己実現とか勝ち組とかポジティブ思考とか世間体とか一般常識とか絆とかとか... 強弱入り混じったいろんなしがらみを同調圧力と感じる生き方に無縁でいたいヒトはけっこうたくさんいます。実際には妥協を選択する機会が多いのがリアルで、浮き沈みに相当鈍感でいられる才能なヒトか、我儘を突き通せるだけの才能を持ってるヒトだけが、勘違い甚だしいと揶揄される生き方を選択できるのやもしれません。

「獣になれない私たち」は、泡々と牧草を喰みながら「これでよし」と日々をこっそり噛み締める羊たちの生き方をアンチテーゼするわけでもなく、「実際には妥協を選択する機会が多いのがリアル」を生きてみたらくたびれてしまった人たちの一時的な休息を切り取ったドラマな気がします。

人生は長いです。ドラマのエンディングが転落人生の始まりだったり、勘違い甚だしい後悔を暗示している場面に見えるヒトもいるかもしれない。まぁ何が幸せか他人が知るよしもないし、後悔しないための選択というのもヒトそれぞれです。

気分がスカッとは晴れないし、選択の行く末を何も示唆しないという意味で「全く自分らのクソな日常とおんなじだ」と腹の底で思ってるヒトには、みごとな「クソドラマ」だったとはいえます。

「お疲れ役」の新垣結衣さんがかわいそうとばかりに「女優の自信やプライドを損なわせてしまうというのは、テレビ局側がもっとも避けたい事態」「次回の作品では、ぜひ“新垣らしさ”を発揮してくれることに期待したい」という記事は、裏読みすると大根役者扱いな気もするのだが...