福岡大空襲と父母の時代〜

昭和20年6月19日は、福岡大空襲があった日。母は疎開地であった満州・ハルビンから終戦を待たずに帰国して福岡・警固町に移り住んでこの日焼夷弾の雨をくぐり抜けて、母の姉と共に右往左往した当時の話をよくしてくれました。父はと言えば郷里のあった佐賀・背振村からB29が福岡方面に飛んでいく様を、焼夷弾で福岡が真っ赤に燃えていく様を眺めておったそうな...大昔は、終戦の日に思い出しては周囲の友人と話すこともありましたが、中学同級生の誕生日が6月19日と知れてからは気まずさも手伝って福岡大空襲の話はあまりしなくなっておりました。そして終戦の日に流れる東京大空襲テーマの特集映像では地方出身者にはなかなか想像力も薄く、実感が沸かないというのが現実であります。

福岡大空襲時の戦災概況図  国立公文書館デジタルアーカイブより
※赤点は追記したもの:福岡市警固神社付近

空襲の概要
日時:1945年6月19日夜11時10分頃から翌6月20日未明にかけて。
来襲機数:B-29爆撃機221機。
投下弾種:焼夷弾を約1,500トンを投下
被害状況:福岡市の中心部(天神・博多を中心に、東は櫛田神社から西の大濠公園まで、北は博多湾海岸線まで)の広範囲が焼失し、市街地の約3分の1が焦土と化しました。死者は902人、行方不明者は244人、負傷者は1,000人を超え、被災者は6万人を超えました。

現在の福岡市と重ねてみました

幼少の頃に走り回って遊んだ六本松の陸軍墓地(現在:谷公園)に高射砲陣地があったとよく聞かされていて、後方の山間に掘られた防空壕跡(途中で天井落下、埋没していた)は子供の探検隊には不気味で危険な遊び場でもありました、ただ当時の高射砲部隊地図には記載が無く後世のヒトの記憶違いであったやもしれません。

福岡周辺の高射砲部隊

六本松の陸軍墓地(現在:谷公園)

半世紀以上前によじ登って遊んだ木の幹も原風景のまま...時が止まっております

終戦から10年後、父のいとこにあたる叔母が母の朝帰りも共にする夜な夜なダンスホール通いの友人であった縁で父母が出会い結婚、ジブンが生まれた昭和33年頃は戦後復興から高度経済成長真っ只中で、幼稚園児だった頃(昭和37年)の我が家には、オートバイ(スーパーカブ)があってクルマ(マツダR360クーペ)があって当時としてはそこそこに裕福でしたので、火花を吐く鉄人28号やブリキ製の4発プロペラB29やで遊んでいた記憶の断片があります。果たして悪魔の象徴の様でもあったB-29爆撃機のおもちゃを買い与えた父母の心境はどんなであったろう...実は中学生の頃に尋ねた記憶があります。「生き残って、やっと全てが旨く回り出した世の中では、過ぎた昔は何でもない...」みたいなことを言っておりました。まだ必死で時代にしがみついて昇っていく道中に、余計なことに気をとられる暇も余裕もなかったのだろうと追想します。

福岡市照国町のかどやさんのお隣に住んでおりました

1983年に廃線となった筑肥線が家のすぐ脇を通ってけたたましく蒸気機関車が走っておりました。

旧家の脇にあった踏切跡から筑肥線跡を眺めると確かななごりがあります

 

悪魔の象徴は、無敵ではなくて米国人にも悲惨をもたらしていた

10年くらい前までB-29爆撃機と言えば、高射砲迎撃も叶わず日本軍戦闘機の手が届かない超高高度から爆弾を降らせ続けた悪魔の象徴、あるいは米国に勝利をもたらした先端航空技術の結晶、のように記述されておりましたが、報告資料や記録によれば必ずしも無敵の存在ではなかったらしい。第二次世界大戦時に製造されたB-29爆撃機の総数:2,500機、本土防空部隊報告によれば485機が撃墜されたとなっていますが、なにぶん大本営発表の数字だけに真偽を得ませんが現在ではより確度の高い情報も挙がっているようです。

果たして福岡大空襲のときにどれほどの防空能力が発揮されたのか記録は見当たりませんが、その悔しさは映画ゴジラ-1.0で見せた局地戦闘機「震電」を終戦間近まで試験飛行させていた地元の軍人さんの意地でもあったように思われます。

朝倉郡の筑前町立大刀洗平和記念館に震電の実物大模型展示

軍事施設を破壊するため...云々は、米国洗脳の教科書で散々喧伝されておりましたが、繊細状況を見れば一目瞭然で一般市民の大量虐殺、商業施設破壊による経済力破壊が主目的であったのは明々白々、いまだに「原爆投下は正義だった」を繰り返す国にただただ笑顔で平和の国を喧伝しながらケラケラ笑って過ごす日常もなんだかいびつな気がします。中国、韓国のようなナショナリズムはナンセンスに過ぎるとは思いますが、既に他界された西部 邁氏の著書「反米という作法」の言うように自国の戦争歴史は正しく認識しておくべきでしょう。

小学校の頃の同級生女子から「最近は、股関節やられちゃって田植えがたいへん」なんて色気の無いLINEのやりとりがあるほどにジブン達はおじいさん、おばぁさんになりました。いつの時代にも理不尽なことはたくさんあって、理不尽であってもやらねばならないことも少なくありません。生きてるうちにドンパチ始まるやもしれませんが、それでも平和の願いだけでなにもしなかった、という国にはなってほしくありません。