コミュニケーションを大切に考える〜封殺に向かう社会

連れあいと久しぶりに大宮駅周辺をブラブラ買い物にやって来ましたら、いろいろ変わっていて、西口廻りなど整然と整備されていて、着々裏路地の古い建物の取り壊しも進んでいて、綺麗な街並みに変わりつつあるんだなぁ、と少しガッカリしましたよ。
東口ロータリーで一服、、、と思いきや喫煙所が一斉に撤去されていて、またガッカリ。そう言えば西口の喫煙所も1ヶ所だけになってたなぁ。

「喫煙は決められた場所で...」薄ら優しい分煙キャンペーンCMとは裏腹に、急激に喫煙スペースは消滅しつつあります。
トスポカードも未成年保護とかの名目ですが確実に喫煙機会を奪うのに貢献しています。
「喫煙は悪だ!」との社会的了解を得たものと喫煙被害(嫌い)な方々が、撲滅運動に邁進していくのを「世の流れだねぇ...」と受け流すしかないのはなんだか寂しいもんです。

喫煙者の生存権は、自衛隊の憲法問題と似ています。タバコの販売/購入は合法なのに、喫煙者を著しい社会的異端者(下手すれば落伍者)扱いする過激・過敏な人達がいて「条例化やむなし!」と叫びまくる始末。
※喫煙者モラルの問題を棚上げするつもりはありません。念のために

「タバコの火はちゃんと灰皿で消しなさいよ!」 :おばちゃん
「うるせぇな、くそババァ!」         :おにいちゃん
「何がうるさいんだい!」           :おばちゃん
「関係ねぇだろ ババァにゃよ〜」       :おにいちゃん
「火が付いたら危ないだろ!すぼって臭いんだよ」:おばちゃん
「ああぁわかったよ! これでいいんだろ...」  :おにいちゃん

こんな会話を耳にすることはほとんどなくなりました。
おにいちゃんはどこかに消えてくれて、おばちゃんは危険な目にあうことも、うっとうしい不快な想いをすることもなくなり、快適な社会が出来ようとしています。

おばちゃんとおにいちゃんはそれぞれでうまくやっていけばいいのでしょうが、おばちゃんとおにいちゃんの接点は無くなりました。「それぞれがうまくやってければいいじゃん。関係ないし〜」

果たしてそれでいいんだろうか?

多かれ少なかれ、今の社会で進んでいる事は似たような状況を作っています。
なにも社会浄化対策だけにとどまらず、利害や意見の異なる団体・集団はおろか個人の問題についても、いつのまにか目先の問題を解決するスピードは速くなりましたが、その根っこの問題に手を突っ込むこともなければ、和解というカタチで事を納めることもしなくなりました。
全てが封殺という方向の解決手段だからです。

コミュニケーションとは名ばかりに主張だけを繰り出す世の中

おそらくこのままいくと予定調和の混沌から引き返せなくなりますねぇ

大宮駅前のゆる〜い無法地帯然とした雰囲気が好きだったのになぁ