どうせ消えてゆくはずの真夏のファンタジー〜Google Streetでたどる古き良き時代の痕跡

1976.8月、真夏の暑い盛りにリリースされた「北山修」名のファーストアルバム、当時福岡市野間四角にあったレコードショップに予約してあったこの1枚を、高校の通学帰りに小脇に抱えて自転車を走らせたのを覚えております。えらく陽射しが強い夕方、家まで5kmの道のりを暑さでLPレコードがたわまないか心配しながら急いだモンです。

北山修30歳、ロンドン・精神科医インターン時代の心境を詞曲に詰めた1枚、楽曲を楽しむというよりメッセージを受け取る心境で聴いておりましたが、半世紀経った現在でもそんな気になる曲達です。ちなみにウチのつれあいは北山修氏の決して上手くない歌唱が嫌いで、作詞の内容含めて聴いてると痛く不安になるそう...受け取り手によってはきっとそう聞こえるのでしょう。ピエロの道化芝居というのは楽しく演じられても得てしてそんなモンですから。

1枚の絵 /12枚の絵(1976)

 

Googleマップ・ストリートで大昔に暮らした町並みをたどってみると...昔の記憶にある痕跡がほとんど消えておりました。さすがに半世紀経つと町並みも道路も見知らぬ誰かのそれです。薄々はいやとっくに感づいていたものの「ふるさとは遠きにありて想うもの」ならぬ「歴史は記憶の中にしか探せない」わけで、それすら薄れゆく面影なのであります。

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登下校の雑踏のなかを歩くのが苦手だった中学生のジブンは、小一時間早めに家を出てまだ人気のない教室で雑誌を開いたり。体育館でバレーボールをはたいたりするのを日課としておりました。家から近所の畑の小道を抜け、団地の登り口を右に折れ、中学校の裏門につづらに続く路地を登り切りT字路にぶち当たると学校裏門です。いつからかよく見知った同級生とこのT字路でバッタリ出会うようなりました。右手から現れる彼女がこちらを向いてキョトンとした顔をいまでも印象深く覚えていたりします。中学時代の3年間を同じクラスで過ごしそこからロマンスが生まれたわけではないけれど、しばらくはたまに帰省すると会うくらいの縁はつづきました。いまはどうしてるだろ...と気にはなります。

ファッショナブル・ラバー/Hi-Fi Set (1976)

2022.6追記
妹の運転するクルマで数十年ぶりに中学校に続くつづら折れの坂道を登っていくと「違う道じゃない?こんなに狭い道だっけ?」とぶつぶつ言いながら登っていくと上記のT字路が現れました。「あぁやっぱりこの坂道だったんだぁ...」です。

 

ジブンが学生だった70年代〜80年代初頭は、まだバブル前夜、オイルショックをひきづっておりましたから、田舎の道路整備に予算が回らず、60年代高度成長期に着手されたいわゆる”観光道路”という場所も荒れ放題という状況。田舎道の峠超えはラフロードがあたりまえ、国道とされてる道に草が生い茂りクルマでは到底通行できないトコロもありました。

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数年前にウチのつれあいと北海道をクルマで廻った折りに、40年前独りバイクで駆け抜けた道筋をたどってみたところ、果てしなく遠くまで伸びてファイトしたラフロードは消えよく整備された観光道路に変わっておりました。これでは「層雲峡から三国峠を超え120km続く砂利道と格闘しながら、ときに”クマ出没 注意!”の看板に緊張しながら糠平湖までアクセル握りしめて駆けたんだよ」などという武勇伝もただの与太話にしか聞こえません。

Nanga Parbat ・Catalina / CUSCO(1980)

 

近年繁栄著しい神奈川県相模原市橋本駅周辺ですが、ジブンがこの駅(JR)に初めて降り立った1979年はまだ周囲に店もまばらな木造りの田舎駅で、九州・福岡からやって来たジブンが眺めてさえ”とんだ田舎に来たもんだ”でした。ただいったん国道16号沿いに出ると一転、不夜城のごとく24時間営業のファミレスが沿道に勢揃いな日本有数な激戦区でもありました。

https://goo.gl/maps/56YGGGDZpQnPiMwh6

1980 恋人がサンタクロース
松任谷由実