日々の雑感〜記憶の奥底を浮上させるトリガー〜虹とスニーカーの頃

10年くらい前に小中高と6年以上家を行き来した友人の実家を訪ねたおり、ご両親に全く自分の記憶が無く昔話を語っても「にわかには信じられん」と言われて愕然としたことがあります。人の記憶領域は無限ではありませんから、あまりに古い記憶、日常に使われなくなった記憶というものは消えていくモンなんだなぁ...と痛感したことがあります。また古い記憶というのは頭の中で都合のいいように改ざんされやすいです。

そんな事を再認識する出来事が最近もありました。

6月の小学校の同窓会以来、空き時間に実家から持ち込んだ40年以上前の古い資料を仕分ける機会が出来ました。卒業アルバムや古い写真、上京するに随分と断捨離したと思っておりましたが、古い手紙や葉書だけでもダンボール2箱になるのでいい加減処分してもいいかな...と思って中身を読み返したりするとなかなかに興味深いです。どうやら自分の現在の記憶とは所々ちぐはぐに違っているようで、残っていた日記の断片を元に遍歴を整理しだすとすっかり記憶から抜け落ちていたモノ(実は記憶の奥底に沈められていたモノ)が新たな断片として浮き上がってきます。

幼い日の初デートの記憶 

お気に入りの女の子とお出かけしたイチバン古い記憶は、”ひろこちゃん”と近所の公園巡りした5歳の頃でありますが、果たしてそれが”初デート”と呼べるモノだったかどうか...小学3年生の頃、”かずみちゃん”と動物園まで出かけたのがそうであったのか... そもそも女の子とお出かけしたら一様にデート?というモンでしょうか。厳密な判別は難しいながら、現存する日記の断片に「忘れられない一日」と象徴的な記述があったのが 1972.6.11、当時中学2年生のクラスメート4人で遊びに出掛けた出来事です。

おニューの(ラッパ全盛当時はまだ珍しかった)白いスリムジーンズをおろして出掛けたのですから意気込みが違うと言うモンです。福岡市大濠公園でボートを漕いで遊覧、西公園の山頂まで登って百道海岸に下っていくという典型的な男女のデートコース。クライマックスは百道海岸で雨に降られてびしょ濡れで家路に着き、女の子を家まで送って玄関に迎えに出られたお母さんに「ごめんなさい!雨降っちゃって」と平謝りしたことでしょうか...

福岡市大濠公園のボートハウス(現在)

実のところあらましの大部分は、日記からの引用です。
今までは”中学1年の頃、数人で出掛けてあの娘と大濠公園でボートに乗って、帰りに雨に振られたなぁ”くらいに薄まった記憶だったのですが、日記にあった「玄関先でおかあさんに平謝り」という一文でパーッと当時の情景が浮かび上がって、出掛けたのも中学1年生ではなくて中学2年生の初夏だったし、堤防で浮遊して留まるかもめを長いこと眺めていたことなんかも思い出したり...記憶を開けるトリガーは意外なモンだったりします。

そういえば上京したずっと後になってから流れたチューリップの「虹とスニーカーの頃」を聞いてこの記憶のあらましが浮かんでくることがありました。たぶん白いスニーカーが白いジーンズに置き換わり「若かった何もかもが」とか「ビショビショ濡れのトレーナーが...」のくだりがトリガーだったのでしょうね。

1979 チューリップ 虹とスニーカーの頃

 

平謝りしたお母さんにしっかり覚えられたせいで、その娘の家に電話するとお母さんが出るたびに話し込んでしまい、彼女と話すよりウンと長かったのも思い出しました。それは彼女が嫁ぐ30代くらいまで続きましたかなぁ...

 

2023.9.9 追記

記事中のクラスメートとはもう30年以上会ってないし連絡先もわからなくなっておりました。しかしながら先日、たまたまこのブログ記事を見つけた当時の別のクラスメートが記事中のクラスメートに連絡を取ってくれて30年ぶりに話ができました。

当時の集合場所にクレームが....

クラスメート4人の自宅がそれぞれ結構に離れており、ジブンは集合場所が通学路の途中にあり、もう一人は丘陵地にある団地を降りきったところでイチバン近かったので問題なし。ただあとの二人は山超えで30分くらいかかったそうで、早朝の集合時刻に間に合わせるため通学時よりだいぶ早起きしたんだとか...

そんなクレームも懐かしさ倍増のトリガーにしか聞こえませんでした。