脳梗塞がやってきた!〜死にかけてみるとイイこともあるモンです〜あやしうこそものぐるほしけれ
のつづきになります。
脳梗塞で緊急搬送された病院を退院して1週間が経過、まだまだ体力が戻らないし倦怠感が凄くて仕事を再開しても妙に集中しないといけないし、夕方になると疲れて意識が飛びそうな感覚もやってきます。脳梗塞の後遺症というよりたぶん服用するように言われている薬の副作用なんだと思われます。
走馬灯には出会わさなかったが...
緊急搬送され救急ストレッチから診察台に横滑りしてクランケ状態になっても走馬灯を見ることはなかったし、ずっと「仕事の引き継ぎ誰に頼もうか」とか「つれあいはちゃんとやれるのだろうか」とか「もしものときはきっとパニクるなぁ」とか頭の中ぐるぐるするものはけっこうに現実的なモノばかり。いろいろ検査後に入院ベッドに放り出されて夜中に天井を見上げても昔のように真っ暗な中に落っこちていくような漠然とした不安に苛まれることもなく、左半身の不自由はまだしも認知症患うことだけは簡便してもらいたいなぁとか考えてたワケです。
死にかけてみるとイイこともあります
当人は知ってか知らずかたいしたことないと思い込んで入院してるのにウチのつれあいは、いまにも死にそうな勢いの第一報を周囲に電話しまくっていたので、後から火消しに追われることにはなったのだけれど、よく考えるとジブンに異変があって倒れてすぐに119番通報していたつれあいの機転から救急車到着、搬送、病院の診察台に載せられるまで15分足らずという奇跡的に早いリレーが功を奏したワケで、文句言う筋合いの話ではありません。
入院早々の翌日、まだ残りの検査が終わってないタイミングでKITAさんがお見舞い抱えてやって来ました。まだベッドから起き上がれずろれつも上手くは回らないながらもなんとか会話できて5年ぶりに会えました。ありがとうございました、もう頭が上がりません。入院3日過ぎには右手だけでキーボード叩いて状況をSNS告知したら各方面から励ましを受けてほっこり。退院告知してからはこれまでご無沙汰放題だったヒトからも激励メールをいただいたり、どこぞの副市長やってる旧知から留守番電話の薄情な声を40年ぶりに聞きました。ありがとう。
1981年元旦2日の不二家ロードサイドレストラン南橋本店前
アルバイト仲間だったジブンと兄さん、姉さんと高校3年生4人
80年代初頭の学生時代を過ごした神奈川県相模原市の旧知から当時の写真が添えられて、35年ぶりに連絡をいただきました。これから面白可笑しい人生を突っ走ろう!と明日を語っていた頃の懐かしい1枚です。そしてLINEにはどこで聞いたか古の肝っ玉かあさんの新規登録通知があったりとなんだか悪いことばかりでもない気になっております。まさにずっと”あやしうこそものぐるほしけれ”※な事件の顛末でありました。
コカ・コーラCMにリアリティーを感じられた80年代でした
※”あやしうこそものぐるほしけれ”とは徒然草のなかの一節ですが、ジブンは「妙に気持ちがざわめくモンだ」と訳しております。