「そもそも日本が歪んでいる」という考え方〜グローバル経済戦争2〜

1995.4.19、1ドル=79.75円の記録的な円高をつけた頃、90%以上を輸出に頼る製品を扱っていた会社でジブンはノンキに中国に出張しては円の威力を実感していました。

当時の超円高の最中でも会社が”奇跡的な業績回復”するくらい利益があげられたのは、それが事実上日本だけのオンリーワン製品であり、国内メーカー間戦争に勝ち残っていたからです。

現在の国内にも世界的にオンリーワン製品を作る会社は円高には無縁に景気がよかったりします。”円高で儲からない”企業とは相対的に価値がないと断じられる製品しか作れないからです。

円安になれば中国や韓国には負けない(品質のものが作れる)

これっておかしくないですか?

日本の一人当たり国民所得はドル換算で欧米に匹敵するわけで、中国や韓国、東南アジアと同じ土俵で競争させろ、と主張するのははなはだ不合理、傲慢な気がします。

これまでどうりにならない”のには理由があるわけで、為替レートを操作すればなんとでもなる、という短絡な発想は子供じみているし、”実際の生活レベルでは欧米並と言えない=為替レートがおかしい”と言うのもおかど違いな気がします。"欧米並所得では暮らしていけない"現状があるとしたら、それはこの国のなかに問題があると考えた方が正しいのではないでしょうか。

日本は半世紀をかけた近代化と、もう半世紀かけた戦後経済戦略で欧米並所得水準を獲得しました。とりわけ戦後日本の国内産業では”年功序列”の慣行や”全労連”的スクラム闘争も手伝って”所得水準の均等化”がそのまま”結果の平等”を担保し全産業の成長底上げに貢献しました。そんな時代には”労働の価値に格差なんかない!”くらいのスローガンはあったと思います。同時にそんな社会主義的均等化は、いびつに”相対価値を認めない”世の中を形成したとも言えます。

ひるがえって今日、グローバル化した世界の需要と供給のせめぎあいのなかでは全てに効率的生産性が相対的価値を決めています。人情味の薄い解りやすい世界とも言えますが、その結果大手製造業のリストラ-海外移転を見るように、この国が掲げるお題目のひとつである”(結果の)平等”を担保するための”過剰な余力”は完全に失われています。

”格差社会”な世の中になりましたが、実際のところこれは矛盾を覆い隠すための(これまでの枠組みを無理くり続けるための)歪みに過ぎず、選挙カーの上で叫ぶ政治家の言葉も社会の軋みを意味不明な方向に引っ張ることにしか働きません。