日本と朝鮮半島〜漢委奴国王と倭人〜日本国の成り立ち

福岡県福岡市の志賀島から出土したとされる”金印”、来歴真偽諸説あれど太古のロマンとミステリーに手前勝手な想像力は豊かになるばかりです。
しかしながら縄文〜弥生時代(紀元元年前後1世紀)の話は教科書でも取り扱いは大ざっぱで、高校生のジブンの頭のなかには”竪穴式住居”と”農業のはじまり”諸処くらいしか詰まっていませんでした。そしてそれは現代日本の教育現場でもどうやらそうらしい。

中国:後漢書の記述にある”印綬”符合から”金印”は弥生時代後期にあたる紀元1世紀の時代のものとされています。「漢委奴国王」”かんのわのなのこくおう” 印文解釈も諸説ありますが、中国:漢書や中国:三国志の魏志倭人伝に登場する倭国(倭人の住む島)に由来するものと読めます。

そしてこの倭国が邪馬台国、大和の国、現在の日本に連なる歴史のはじまりとされているのですが、縄文から弥生の時代に遷移するなかにあった倭国倭人の始まりついては、いにしえの神話時代に重なり中国の歴史書の断片が伝えるのみです。

 

そして倭人は朝鮮半島東岸から南部地方〜九州北部から西日本にかけて分布し、倭国とはその勢力範囲のなかにあった集合国の総称として扱われていたようです。古く(紀元前1000〜)から日本本土に土着していた縄文人に対して弥生人(紀元前300〜)と呼ばれる文化やDNAがもたらされた時代でもあります。

大和朝廷成立後、中国皇帝に「日出處是東方 日没處是西方」と遣隋使が天子の国書を送った後、飛鳥時代に朝鮮半島を舞台に勃発した白村江の戦い(663年 倭国百済連合軍 vs 新羅連合軍の戦争)に敗戦、百済は消滅、倭国は朝鮮半島での権益を失い、律令国家として本土国内の国防・政治体制の変革整備を進め、国号を「日本」に変えたとされています。

現代の倭人=日本人をして「大和民族」と称することがありますが「日本語を母語とし、日本列島に居住する民族」という文化的な意味というよりその”血筋”を言う場合に多く用いられます。

Y染色体グループの遷移

日本人の中にはハプログループD2系統(縄文人)とハプログループO2b系統(弥生人)が存在することが判明した。このうちハプログループD2の系統は日本人に固有に見られるタイプで、朝鮮半島や中国人には全く見られない固有種であることも判明した。」〜Wikipedia「大和民族」引用〜

 

紀元前後に朝鮮半島に居た倭人グループが”弥生人”として本土の”縄文人”と混血し日本人に至たる、は都合のいいだけの解釈に過ぎませんが、大和民族という血の形成と朝鮮半島にはDNAレベルでも浅からぬ関係がある、とは言えるのですね。国家の成立と継承、民族の成り立ちはを眺めていくと、現代に竹島や尖閣を歴史問題として扱うというのはなんだかナンセンスな話に思えてきます。

母校の先輩が熱く語っております。(2023追記)

「邪馬台国は朝鮮半島南部に領地を持っていた!」と騒がしく語っております。

 

「弥生人渡来とは、朝鮮半島南部にいた”倭人”が故郷(本土)に帰還したモノだった!」「縄文時代前期に大噴火した鬼界カルデラによって半島・大陸方面に避難民が ”倭人”と称されるようになった」と騒がしく語っております。

※以上の記述、解釈はあくまで個人的見解や考えを手前勝手に並べたものに過ぎません。記述内容への反論や指摘は原則的に受け付けませんので宜しくです。