電子メール〜そもそも見にくいもの

自分のプライベートアドレスには毎日50通平均の電子メールが届けられますが、7割がスパムメールです。会社用アドレスにも毎日たくさんのスパムが来ます。近頃はメールサーバーや電子メールアプリの対スパム対策が効いているので、その95%以上はゴミ箱に直行します。「大事なメールが紛れているかもしれない...」と思ってゴミ箱をあさっていたのはずっと以前の話で、今は無頓着に週1回のゴミ箱廃棄を自動でやってもらっています。

スパム対策がお題ではないのですが、業務にしろ私用にしろ異常に「しつこい」差出人に辟易する事もあって、スパム登録した人も何人かいたりします。当時のNiftyサーブが有料パソコン通信網を始めた頃から電子メールを使っているので、25年位になりますが便利である反面、苦痛になる事もちょくちょくあります。ちなみに携帯メールは原則禁止でめったな人にはアドレス教えません。

他人とのキャッチボールは、顔が見えて言葉を交えるのが基本です。遠距離であれば言葉だけになるかもしれませんが、文字通り相手が見えにくくなります。言葉を文字に書き換える手紙やメモでは、声が届かなくなり相手の意を字面からしか汲み取れません(それでもわざわざ書いて頂いたことを気持ちとして受け取れますが)これが電子メールの活字に置き換えられると、まず本物かどうかさえ疑わしいものに変わってしまいます。 仮に「本人がタイプしたものである」としても、活字に変わった文字から、内容の真偽や「言外に言わんとするところ」を察するにはあまりに形骸化された記号にしか見えません。

メール文化を肯定的に唱える人は、「いつでもどこでも」「言えなかった事が気楽に伝えられるようになった」と呑気に満足げですが、百害のうちの一利に過ぎないと思います。百害のほとんどはメールを使う側の意識の問題だと言えますが、「いつでもどこでも、返事を早くくれ!」だったり、「言いたい放題のことを無神経に伝えてくる」ことの方が増えている気がします。送った人に悪気が無かったとしても、そんな使われ方をされているとしたら、果たしてメール文化というのはどうなんだろうか....

かように電信活字からは伝えられるべき情報が欠落していて、そこに「愛してるわぁ ♥♥♪」とか表示されていても、「あ〜今日もまた浮気相手のトコだなぁ」というサインしか送らなかったり、「鋭意検討させてもらいます!」と返事があっても「無理なんだろなぁ〜」としか受け取れない状況をわざわざ作っているような気がするのは自分だけなんでしょうかねぇ。
(ウチの家庭の状況を言ってるのではありません 笑)

表題のように、電子メールとはそもそも相手が見にくいもの、見えにくくなるもの、転じて「醜いもの」だと掛かった方がよろしいのではなかろうかと思うこの頃でした。