トヨタ デザイン 〜嫌悪する何故 その2

思いっきり振りかぶったお題の2回目です。なにせ個人の嗜好のお話しです。無理も通すぞ!っと思って書いたりします(笑) 

前回、トヨタ・デザインは「アンタ誰?みたいなデザイン」と締めくくりましたが、車の大雑把な線や面のお話になると、どの国産車も同じに見えてきたりします。共通する制約がかかっているからです。「削ぎ落とせない曲げ技」「絞りきれない絞め技」は、なにも意匠デザインをやってる人の感性がそうさせているわけではありません。お金がかかるんですよ....大概はこれでおしまい。リヤハッチだけ割増予算とか、プラスチックな部分で誤魔化した妙なクルマが多いのも仕方がないのかもしれません。

そんな制約も織り込んでプレーンな面取りを大胆なカットだけで旨く処理したのが HONDA S-MX (1996年〜2002年) です。ありきたりのセミキャブオーバー型ながら絶妙なサイズ感を探り、コラムシフト&ベンチシートというコンセプトを詰め込んだ旨くデザインされた秀逸な一台だと思います。

話は変わりますが、庶民が官僚/公務員/お役所の存在理由や意義をわざわざ詮索することはめったにありません。ただ庶民はこまごま行政サービスには注文つけるし、役所は自分の都合で要らないものを庶民に次々に用意したりします。

日本ではメーカーと顧客の関係もよく似ているような気がします。クルマのデザインやコンセプトを問題にする人は、実のところそんなにいないんです。ただいろんな顧客がゴチャゴチャ言ってくる些末な要求にメーカーは右往左往対応するし、競合車との差別化や市場開拓のために勘違いな新提案とか余計な事をしてくる事もあるんです。

「普及車」と呼ばれる価格帯のクルマを作るメーカーは全て同じだともいえますが、それでもトヨタが図抜けた販売実績を残すのは、徹底して「購入者の些末な要求を満たしたうえで、問題が発生しないお買い得品」をいかに提供するかに注力しているからだと思います。クルマのデザインやコンセプトにこだわる人の多くは「惚れた弱み」を自覚してますから、些末な出来事には寛容だったりします。しかしながらそんな人は圧倒的に少ない。

だから トヨタ・デザインは....

・「トヨタ」のカタチをデザインしない。そんなものを大多数の顧客は望んでないし、アイデンティティーをカタチにする意義など考えてない。

・「購入者の些末な要求を満たしたうえで、問題が発生しないお買い得品」を作るために、コストカット手法の共有化、生産管理への適合化、トレンドラインを外さないマーケティングデータの活用、最小限に効率的なキャッチアップの検討....等で不具合を取り除く合理性を徹底する。

....んなカタチが旨くまとまらなないまま露骨に見えてしまう。

突出してるようで角が丸い。平凡なようで余計なものがチラつく。考えられているようで何を?と聞き返したくなる。斬新であるようで収拾がつかない。なんだかおかしい、....アンタ誰?みたいなデザインに見えてしまいます。

※初代「Vitz /NCP13」は、デザイナーのコヴォスさんが相当に頑固だったんじゃなかろうか、それ故にそれからまもなくトヨタを辞めた(辞めさせられた?)んじゃなかろうか、と想像させますなぁ。

「それでも安心だから買う」「それでも便利だから買う」「それでもお得だから買う」「それでも私は好きだから買う」だからやっぱりトヨタは売れるんですよぉ。