「国家非常事態宣言」でもいいような状況〜自由と権利と正義と秩序を誠実に希求するだけで神の手は差し伸べられるのか?

はがゆい程に被災地への供給が遅れているのは皆さんご存じの通り。原発の暴走対策、電力供給に関してもとても政府が機能してるとは思えない状況が続いています。輪番停電(停電計画)についてもこの期に及んでも政府が「生活が第一」などと渋々了承の流れが裏目の状況しか作っていません。「買い占めはやめましょう」と叫んでも「みんなが買うから買わざるを得ませんね」とどこまでも他人のせいにしたがる人達はなくなりません。自由と権利と正義と秩序を誠実に希求するだけで神の手は被災地に差し伸べられるのでしょうか。


被災地、福島原発から200km以上も離れたさいたま市は、買い占めが少なからずあっても騒動とは無縁のように平和です。ただ漠然とした不安感は誰もが持っていてテレビやネットで流れてくる情報に無縁ではないとは感じています。それらが停電・交通・運輸上の不便に押し黙っていられる理由にはなってますが、どうやら当事者であるという一体感には無縁です。

いっそ「国家非常事態宣言」が発せられて自由と権利を一時制限された方が旨くいくのではないかと考えてしまいます。もちろん実際には「国家非常事態宣言」の特別法が存在しない以上、実質的な制限が強制されるわけではないのですが、そうでもしないと現在進行形で起こっている被災や事故の危機を全ての日本人が当事者なのだという意識には向かわない、そんな気がします。

個人的には多少不便になろうとも大騒ぎしない日常を続けることが大勢に利するのであればそれが一番いいと思います。今の政府がそんな市民の日常を担保してしのげる事態なのかどうかがわからないし、事態を好転させられない要因が「自由と権利と正義と秩序を誠実に希求する」信条にあるのだとすれば、そんなものは吹っ飛ばして考えればいい、と思っています。