塗工屋稼業奮闘記その 2 :3.5フロッピーディスクの実力〜奇跡は一度だけしか起こせない

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本命3.5インチ〜製品化なるも課題山積み

1985年、5.25HD媒体の開発は昨年より別チームでの開発が進められ製品化したものの、8インチ開発での技術をそのままフィードバックすることが難しく改めて新しいチャレンジが必要になっていました。

本命3.5インチ

新しいFD規格検討が本格化し、ソニーが提案する3.5インチFD、松下/日立が提案する3インチFDが同時期に発表されました。2.5インチ、2.7インチといった規格提案も海外企業から提案されていましたが、この頃になると本命は前記の2社規格に絞られ、その後ライセンス費の無償化に動いたソニー規格が結果的には世間から指示されることになります。後日ソニーの開発者と話す機会があった折「まさか実際に製品化されるとは思っていなかった」というくらい、煮詰めの甘い規格ではありましたが、FD市場の需要期に入りつつある頃でもあり、3.5インチFD開発が最優先となりました。

1984.1 アップル社が3.5FDD搭載パソコン
マッキントッシュを発表

 

3.5inch Floppy Disk  Outline chart

 

 

—工場日記—
1985年当時、磁気テープ(カセットテープ、ビデオテープ)フロッピーディスク等は最先端技術のように扱われていましたが、工場内を見回してみても蔦の絡まる旧舎が目立つのんびりした、それこそ世間が想像する舞台には程遠い風景が広がっていました。
開発といってもTDK、マクセル、富士フイルムといった大メーカーの1/5以下の人員だったのではないでしょうか。(フロッピーディスク開発は総員5〜6名の所帯)
表題の「塗工屋稼業」どおり磁気テープやフロッピーディスクの製造は「磁性塗料」作りから始まり、PETフィルムへの「塗工」までを行って出来る稼業ですが、有機溶剤(トルエン、メチルエチルケトン)の飽和蒸気と発ガン性物質(カーボン、磁性粉等)にまみれながらガスマスクを付けての作業を想像する人は皆無ではないでしょうか。

試作棟の外に無造作に有機溶剤入りのドラム缶が置かれていたり、30m先に焼却塔があって野焼き同然に盛大に廃材を燃やして…それで済まされていた時代、田んぼの中にたたずむ工場でした。

 

製品化なるも課題山積み

1985年末、3.5インチ2DDモデルの開発・早期製品化が最優先の中、暫定ながらも製品化の目処が立ってきました。しかしながら基本スペックはなんとかクリアしたものの、製品歩留まりは10%以下でとても生産品という段階ではありませんでした。

それでもソニー、日立マクセルに次ぎ製品化を急いでいた富士フィルムからOEM供給の依頼が入り、急遽出荷体制を組むことに。(もちろん自社ブランド製品は未だ手つかず)出荷体制と言っても技術部の開発スタッフが手作りで注文数をこなすというもの、差し入れの寿司をつまみながらの作業で3.5 2DDモデル;3,000枚の製品初出荷となりました。

翌86年、3.5インチ2DDモデルも技術部と生産部門との調整を続けなんとか製造移管されますが、歩留まりは依然60%程度でしかありません。

そして混迷の中3.5インチ2HDモデルの開発をスタート。

媒体にはM.P(ミッシングパルス:塗膜欠陥等)、E.P(エキストラパルス)の低減が急務でしたし、シェル筐体の勘合時に発生する溶着粉がMPを発生させる問題やハブフランジの最適角度の検討、ハブフランジへ媒体接合する両面接着リングの検討、等々歩留まりに関わる課題は山積みでした。

とりわけ肝心の媒体本体で発生するMP/EPに関しては、根本的なところで何かが違う感がありましたし、3.5FD媒体の耐久性/耐候性とも目標スペックには達してはいませんでした。またFDドライブの新型両面ヘッドでは8インチFDで試みた摺動評価方法がとれず、3.5FD媒体の摺動状態を評価する新たな手法が必要でした。

8インチFD 磁気ヘッド

3.5インチFD 磁気ヘッド

ボタン型片面ヘッド

兎毛パッド支持

(図は片側、2DD、2HD等の両面タイプでは、FD媒体を挟み込む形で対向位置に同形ヘッドが配置される)

1980年当時の8インチFDドライブは、片側に磁気ヘッドが固定され、対向側からFDを兎毛パッドで磁気ヘッドに押しつける構造になっていました。

3.5インチ2HDが登場する頃には、FDの両面に角形スライダの磁気ヘッドが装着され。ジンバル構造のバネを持ち、FDのたわみにも追従できるように設計されました。


3.5インチ フロッピーディスクドライブのしくみ ヘッドの特徴

 

—開発日記—
根本的なところで何かが違う感がありました。
このときは特効薬だのみに磁性塗料の配合を少し弄ったところで改善されるような問題ではないと直感していたのか、毎週のように設計試作を繰り返す中、確実に無力だと感じていました。ここから1年また自分だけがチームと違う病に取り憑かれることになります。

「磁性塗料の製造プロセスに問題がある」それは先人のやり方にケチをつけるということになります。「教えてくれるヒトがいない」課題には慣れていましたが、今度はいろいろ雑音が入ったりする作業でもありました。

 

HDD(ハードディスク)やCD-R/DVD-Rはヘッドが媒体と非接触であるのに対して、FDは常に磁気ヘッドと接触して摺動しているので、FDの耐久性というのは主に耐摩耗性/耐衝撃性/耐スクラッチ性のことをいいます。

FDの耐久性を高めるには媒体塗膜強度を上げるのに併せて。磁気ヘッドとの摺動状態を良好に維持する「潤滑剤」なるものを媒体内に添加もしくは塗布していました。
最終的にFDの耐久性を評価するには実際にドライブさせるわけですが、当時カタログに記載されていた「連続1000万回の耐久性!」を唄うには何ヶ月も試験を行わなければならず、試作段階でそんな悠長なことはやれないので短時間のうちに耐久性向上の指針になる何らかの評価手法が必要でした。

・通常よりも高加重の磁気ヘッドで運転したときの耐久性を測定する耐荷重試験
・摺動する磁気ヘッドに加わる円周方向の負荷・挙動を測定する摩擦測定

新たな媒体摺動評価方法として、ガラス製模擬ヘッドを2HDドライブの片側に装着し模擬ヘッド越しにFD媒体と磁気ヘッドの滑走状態を観察できる実験機を作成しました。 
FD媒体と模擬ヘッドの摺動面に潤滑剤(油層)の走行渦が観察される事を確認、さら模擬ヘッドの代わりに極薄プレパラートガラスを用いて観察したところ(対面側の)磁気ヘッドとFD媒体の摺動挙動がより詳細に観察されることが解りました。(観察される油状の渦や流れを潤滑渦・潤滑流と呼んだ)

潤滑流・潤滑渦の観測

※潤滑渦・潤滑流(磁気ヘッド形状は参考。実際に見える訳ではない)

各社のFD媒体を比較観察すると磁気ヘッド四隅の潤滑渦の大きさや拡散周期に特徴があり、潤滑流の濃度(油層厚)も異なっていました。また走行(回転)前後端での潤滑流・渦の差異が顕著に観察されました。走行時の環境変化(温湿度)でもこれらの状況が変化します。ある程度観察を続けると、媒体にスクラッチが入る前に潤滑流・渦が大きく変化することも解ってきました。

試作媒体におけるこれらの事象とその他の試験結果を照らし合わせ、FD媒体の摺動安定性を高める、ひいては耐久性向上の指針としました。

—開発日記—
日立研究所に出向していた折、HDD薄膜ヘッドのフライングシュミレーション実験を見に行ったことがありました。
8インチ磁気ヘッドではレプリカ判定という手法で研究成果に繋げられましたが、実はこのときボタン型ヘッドでも同様の実験を行っていました。しかし磁気ヘッドの損傷領域があまりに微細な範囲で起こっていた事や、緩い球面のボタンヘッドを使う場合には、さらに超極薄のプレパラートガラスを使わねばならない等、目的に合致していませんでした。 
後日、日立研究所の主任研究員から「再度、研究所に行ってやろう」と誘われましたが、これ以上会社の外にいると何屋さんか解らなくなるので、丁重にお断りしてもらいました。 
そう案外こういう研究職の方が向いていたのかもしれません。
※当時撮影した観察映像は残念ながら現存しません。

 

不純物を取り除くには〜新規製造システム開発の道のり

塗膜表面のM.P、E.P発生箇所をSEM(電子顕微鏡)で覗く日々が続き、EPの主要因は超微小(1〜3ミクロン)な「金属の破片」であることが解ってきました。当時、磁性塗料の製造工程に用いる分散機(※1)にはスチールビーズを使っていましたし、分散機シリンダ内壁、回転翼もスチール製で、塗料原液を作っている間にそれらはみるみる減っていくものだったので、まさにEPの発生原因を製造しているようなものでした。

※1:磁性塗料は磁性粉(<1ミクロン)、バインダ(接着剤樹脂)とカーボン、アルミナ等の機能性粉体及び機能性添加剤を有機溶剤と混合した後、これら各個の微粉末をバインダでくるんだ状態で均一に分散させなければいけません。その分散処理に使われるのが分散機で、回転翼を中心軸線上に配置したシリンダ内にビーズ球体(1〜5mm)を充填し、混合液を入れてかき混ぜてやる機械です。(多数の方式の分散機がある)

 

 

不純物を取り除くには

対策として…
分散機メーカーに試作協力を仰ぎセラミック製の回転翼と内筒を提供してもらうことになりました。しかしながら高粘度の磁性塗料の分散工程ではセラミック製内筒は水冷ジャケットの冷却能力が圧倒的に不足して魔法瓶のような状態となり使い物になりません。また回転翼にはビーズ高充填時に強度的な問題があることも判明しました。

そこで超鋼(タングステン-コバルト)材質の回転翼を特注、内筒は同材質での制作が不可能であるため、ステンレス材内筒壁表面に1000℃以上で溶解させた超鋼同等材質を吹き付ける容射処理後、成形表面をダイヤモンド切削して制作しました。また接合フランジには一転して耐溶剤性プラスチック樹脂という柔らかい材料を用いるなどにより、耐摩耗性を数段向上させた分散機を独自開発しました。

【特開平05-143984】磁性塗料の製造装置

 

—開発日記—
超鋼(タングステン-コバルト鋼)材質の回転翼は小さな実験用ラボ機での試作用にメーカーが持ち込んだものでしたが、まさか生産機用に作成することになるとはメーカー側は思っていなかったようです。

KAWASAKIモトクロッサーのエンジンシリンダの摩耗軽減に使われるシリンダ内壁「爆着メッキ」…というモーターサイクル記事にヒントを得て、日立研究所出向時に見せてもらったTiN(窒化チタン)コーティングの打診や金属表面処理業者を訪ねてこちらの要望を打診、「WC-Co-Cr超鋼容射処理」で幾つかの試作品を作成しました。
当初は溶射皮膜の表面がスムースな方が良いだろうとCo-Cr比率の高い仕様から試しましたが、それでは到底セラミックビーズによる摩耗に耐えられないことが判明、一気にWC比率をあげた試作品を作成したものの表面があからさまにゴツゴツで、到底使い物にならない様相でしたが、更にダイヤモンド表面切削仕上げ加工を追加、摩耗によるコンタミを押さえ製造機として通用する耐久性を得ることに成功しました。

しかし当初は社内の人間にはなはだ非常識な企てに映ってましたね… 1発で成功したワケではなく数基の失敗作もあったワケですから… が結果的に、以下に続く新規の原液製造工程に不可欠の要素技術になりました。

<追記>会社員でもある技術屋のノルマとして開発終了時には特許出願提出を求められていましたが、社内製造設備の秘匿事項でもあったわけですからそんなもの書いて製造ノウハウを公開しない方がいいに決まってる、と当時は勝手に考えていました。その後グループ内の技術発表会案件に選択されて体裁のために【特許出願】項目と記載させられ、本社研究部・法務からうるさく打診が来ていたので、さらにその翌年に特許出願したような気がします。

偶然判明したことではありますが、ある摺動状況では「金属より柔らかいプラスチックの方が摩耗しない」というのは目からウロコな発見でして、塗料搬送ポンプをプラスチックで試作したりもしました。

 

塗料分散機の素材開発をにらみつつ分散工程の見直し及び原液配合調整のための実験を並行して行っていました

1)分散効率を上げるための分散機のチューニング
2)磁性塗膜の強度を落とすことなく分散効率が上がる原液配合/処理工程 
3)バッチ分散方式(※2)

を同時に満たすことが必要でした。

まず「スチールビーズ」を廃棄することを前提に、ビーズ材質/ビーズ比重/ビーズ径/シリンダへの充填率/回転翼速度をパラメータに、塗料の分散速度経過、磁性塗膜にしたときの強度/磁気特性を調べる小実験を繰り返した結果、次項目の知見が得られました。

  • 高粘度下での1次分散ではビーズ比重が高い程よい結果が得られた。
    分散機内で急激に増粘するため適切なビーズ対流を分散機内で起こすには高比重なビーズが必要と推察される〜スチールビーズを使い続けた理由でもあった。
     
  • セラミックビーズは、真球になる程摩耗が少なかった。
    非球型B社のセラミックビーズは分散機稼働で偏摩耗〜コンタミ発生、真球型A社のセラミックビーズは20%以上、摩耗進行が遅い。
     
  • 真球タイプのセラミックビーズは、小球形程1次分散のスピードを促進する。
  • 真球タイプのセラミックビーズは、分散機に高充填程1次分散のスピードを促進する。

これらの結果から、開発した分散機では1.5mm小径の真球セラミックビーズを見かけ充填率82→87.5%(実際の容積比率ではない)という高充填で運転する条件を得ました。

ちなみに通常シリンダにセラミックビーズを使用するとシリンダ摩耗が倍化するためセラミックシリンダとの組み合わせをメーカーは推奨していましたが、シリンダ冷却が極端に悪くなり温度上昇が顕著となるためビーズ充填率を下げざるを得ず分散効率は低下してしまいます。

ここで先行開発した超鋼溶射シリンダは耐摩耗性と冷却能力を両立させ、目指すところの分散能力をフルに発揮できる条件を稼ぎ出してくれました。

従来生産に供していた<単漕循環分散方式>では理論上分散分布を均等化できたとしても、過分散/未分散領域が必ず存在し弊害が大きいし、最初の原料投入撹拌だけでは均質な溶解状態を形成し得ないので、完全分散器通過のバッチ型を提案、分散効率を上げた分散機チューニングと併せ<2漕バッチ分散方式>へ移行させました。

<従来の単漕循環分散方式>

<2漕バッチ分散方式>

 

塗り易い塗料を目指す

<2漕バッチ分散方式>への移行に併せて新しい磁性塗料の原液配合の調整が必要でしたが、ここでは塗装欠陥を減少させるための課題として、流動特性を改良して薄膜塗装に適した磁性塗料に調整した「塗り易い磁性塗料」を目指し、昇華染料「AZR-200」の添加→流動改質をメーカー試作させた1次バインダ:塩化ビニル樹脂「C-130A」→2次バインダ:変性ウレタン樹脂「MAU-5022」を過渡期モデルに積極的に投入していきました。

結果として薄膜塗装(※1)に適した流動特性が得られ、作業現場の負担を軽減するとともに、塗装欠陥を大幅に減少させることができました。磁性塗料の流動特性を改良し「鉄粉」発生を除去した第一段階にあたる新しいシステムで作られ始めた1987年後半、E.P発生率は激減し3.5 2DD歩留まりは80%までに向上、3.5 2HDの開発・製品化が成ったのです。

品番 MF2HDRA
3.5inch High Density Floppy Disketto

※1:8インチ、5.25インチFDでは、75ミクロン厚のPETフィルムに約3.5ミクロン厚の磁性塗膜を均一に形成させるように塗装しますが、5.25 HD、3.5 2DDでは約2ミクロン、3.5HDで1ミクロンという均一な極薄膜を得るためには、なお一層グラビアロール塗装/スムージングに最適な流動特性を得る磁性塗料である必要がありました。

—工場日記—
1986年夏、分散機の開発・チューニングにより分散効率をなかば「力づく」で達成できる見込みが立って来た頃、流動特性に優れるバインダの改良をメインテーマに考えるようになっていました。「オーディオテープの作り方ではないな」と考えながらも、直感だけが頼りでした。

 

不純物を取り除くには 再び

市場が成熟するにつれ価格競争が起き、一段と歩留まりのいいFD媒体を要求されるようになりました。やがて規格以上の品質(オーバースペック)下での歩留まり競争に発展していくのは業界の常です。(当時の日本製品全般がそうやって世界から一目おかれる地位にまで昇っていったんですね)それに伴って工場設備の更なるスペックアップが要求され、問題点の抽出に奔走していました。とりわけ一旦減少させたEPエラーのさらなる撲滅に集中しました。

開発投入した分散機の運転規則の細かな見直しから始まり、塗装機のグラビアロールに接するスチールブレードの変更等、そろそろ改良項目が見あたらなくなった頃、私にとって最後に残った疑わしき物は、原液搬送用「ポンプ」でした。鋳鉄性の汎用ポンプは磁性塗料が接する機会が頻繁のうえ摩耗しやすい代物で、代替機としてモーノポンプや耐溶剤性に優れるエンジニアリングプラスチック製ポンプを使ってみましたが、耐久性や精度を含めて根本解決には至りませんでした。

同時期、<2漕バッチ分散方式>から<連続分散方式>への移行を机上シュミレーションし少量試作実験を繰り返していましたが、理屈上は原液搬送流量を現在の1/5程度に抑えかつ正確な流量精度が必要で、従来のポンプでは全く能力不足であることも解っていました。

ある日の昼休みに手にした工業新聞に掲載されていた京都の会社が出した「精密ポンプ製作します」の広告を見つけて電話してみました。こちらの必要案件を伝えたところ、以前にTDK千曲川工場のビデオラインで同様の注文があり納品実績があるという。早速仕様を摺り合わせ、こちらの条件を加味したものが設計可能か打診、各部を高精度切削で仕上げられた超鋼合金製ボディーの組立型ポンプで「1基:150万円」従来の鋳鉄ポンプが2〜3万円であることを考えると破格の値段でしたが、予算外の特別裁量で購入を決めました。

 

—開発日記—
「1基:150万円」の塗料搬送ポンプは社内的には前代未聞でしたが、超鋼容赦シリンダの前例実績もあってか廻りはしぶしぶOKしたように記憶しています。生産技術部ではずいぶんと「そんなもの必要ない!」と言われましたが、不思議と「大丈夫」と思わせるくらいに送られてきたポンプにはオーラがあったんです。

結果的にはこのポンプが無ければ最終構想の製造ラインは成り立たないくらいのキーポイントであったわけですが、当初はまぁ冷ややかな目が向けられていたのは言うまでもありません。

 

超鋼合金製精密ポンプによる磁性塗料原液の搬送精度により<連続分散方式>への移行が見えてきました。

併せて従来撹拌タンク内に材料投入していた1次分散工程の前に<混練工程>を導入、超高粘度で混練処理後、有機溶媒で段階溶解させることで1次分散工程を更に均一化させられること、混合不良物による初期ポンプ噛み込み事故防止を目的としました。超鋼合金製精密ポンプを使うにはこの工程導入は必須でしたが、得られる利点やその後の分散工程への波及効果は大きかったです。

分散機内での急激な増粘が緩和される効果もあって、分散機内のビーズを見かけ充填率87.5→95%という高充填で運転出来るようになり、塗料分散を更に向上させられました。併せてポンプの微小流量制御時にも配管内の摺動抵抗が少なく、残留物を無くすことを目的にテフロンチューブ配管が使えるようになりました。

磁性塗料原液の「精密フィルタシステム」も併せて導入。
従来の<単漕循環分散方式>ではすぐに目詰まりして使えなかったものも、<2漕バッチ分散方式>では想定の1ランク微細なフィルタが常用できるまでになりました。

机上シュミレーションから少量実験を経てアレンジしたデータを投入し、<連続分散方式>移行のための設計試作を開始。このとき1990年も暮れようとしていましたが、あと一歩のところまでにたどり着いていました。

<連続分散方式>

翌年初頭、数度の設計試作を経た<連続分散方式>のひな形(4漕バッチ分散による仮想連続分散)とフィルタシステムから得られたFD媒体は、これまでの最高歩留まり(MF2HD 89%)を記録し、<連続分散方式>生産プラント建設にゴーサインが出されました。

 

—開発日記—
<連続分散方式>を初めて机上シュミレーションした時には先輩達から「無理、無理」と鼻で笑われておりました。幾度も「無理、無理」と言われたモノ、先輩達が試して得た結論を覆すのに4年もかかってしまいました。

後記
実際の製造プロセスでは、ポンプ目詰まりや超低流量搬送に対応するための超小径テフロンチューブでの目詰まりを予防するため原料投入直後の前処理として混練行程を設け、中間と最後にカセットカートリッジ式のフィルタリング行程が挿入されていました。

 

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2017.3 日々の雑感

あとから考えると「たったこれだけのコトを思いつくのに何故何年も掛かったんだろう」と思ったりするのですが、インターネットも無い当時のことですから、思いついたコトを試すにもツールを探すにもニュースソースは限られた紙媒体、足を運び、話を聞かないと手に入らないことが多く、なかなか一歩一歩が困難な状況でありました。

何より経験と実績がモノを言うヒトの「常識の範疇」で出来上がっている職場にあって、そこをはみ出したトライにはジブンの中にも常識的な疑念がいつもあったのですが、いつの頃か「皆と同じように考えても埒が明かない、ジブンの腑に落ちることをやろう」と開き直れるようになってから、ジブンの中では仕事が面白く進められるようになりました。

「新規製造システム開発の道のり」とか大層なタイトルインデックスですが、ホントの肝の部分の考え方は、ジブンが学生時代の不二家レストランで作っていたベシャメルソースの作り方に習って製造方法を組み立て直したトコロに過ぎません。「小麦粉を均一にペースト状に練って」→「ダマにならないように牛乳で伸ばして」→「布巾で濾してきめ細かく仕上げる」混練前処理も、フィルターシステムも常識的に必要なモノだったんです。

唯一ジブンで頑張ったなと思えるのは分散機を全ばらしてカスタマイズしたくだりですが、同時期、会社の寮にHONDA CB250RS車体を全ばらしてXL500Sエンジンを搭載するため切った張ったのフレーム改造作業をゴソゴソやっていたりして、元々そんなことするのが趣味だった性格が功を奏しただけなのかもしれません。

なんの事はない、入社当時から局面、局面でジブンの仕事の肝の部分は、学業の賜物なんかじゃなくて、学生時代の趣味の知識とバイト経験に助けられていました。無理くりオモシロイ話にこしらえた感はありますが、実際「常識の範疇」だけで仕事をしていたらとてもこんな展開にはならなかったでしょう。

これを踏まえて教訓を垂れる気もありません。たまたま旨くいったジブンのお話を”そんなこともあるのか”くらいに楽しんでいただければ幸いです。

 

新型(3.5インチ)MF2HDの実力

株式会社コロムビアマグネプロダクツで製造されるフロッピーディスクの一部は、日本コロムビア株式会社の「DENON」ブランドとして国内市場に投入されていましたが、98%以上の大半は海外のアッセンブリメーカーへFD媒体のみを100枚単位でケース梱包した状態(「クッキー」と呼ばれる)でOEM輸出されました。

「DENON」ブランドとして国内販売はしていたものの、パソコンに無縁な日本コロムビアの営業力を期待しても詮ない話で国内シェア2%そこそこでは無いも同じ、どんなに原価計算したところで赤字の垂れ流し、工場サイドでは「名刺代わり」と割り切っていたものの、それなりに日本コロムビアとしての営業成績も残す必要があり、いろいろチャレンジングな製品も企画させてもらいました。

MF2HD Macintoshフォーマット済み製品
チキチキバンバン猛レース・キャラクタデザイン
キャラクタ・デスクトップアイコン付き
デスクトップ・デザイン導入

 

OEM戦争

1989年には本格的な出荷が始まり、帝人、日立マクセル、富士フイルム、TDK等のメーカーとの出荷競争となり、富士フイルム、TDKは早々にOEM戦線から脱落、1990年以降とりわけ東南アジア園への輸出では帝人との一騎打ちの様相となっていました。

富士フイルム、TDKが離脱した主な理由は、アッセンブリ前に行うFD媒体表面のバーニッシュ(研磨)工程での取扱いにおいて、2社製品はとりわけ気難しい媒体だったことがあげられます。海外OEM工場の設備は千差万別であるため、シビアな取扱いを要求するFD媒体は敬遠されたのです(短絡的に言うなら乱暴な研磨条件でも製品品質と性能が出なければ受け入れられなかった)

1992年以降は<連続分散方式>の新規生産プラントが立ち上がり、競争力を増した新型MF2HD(3.5インチ)クッキーの海外出荷数量は飛躍的に上昇しました。

海外工場へのプレゼンテーションに使用したのが下記のグラフです。
原液設備開発、原液配合改良とともに製造工程メインテナンスを充実させた結果、塗装時や加工時の事故に起因する塗膜欠陥を排除し、MPレベルは大幅に改善され、唯一他社レベルに劣ると言われ続けたEPレベルにおいても、同等以上のレベルに達していました。そしてOEM顧客先で直接競合となる帝人製媒体に対してもアドバンテージある品質を獲得できました。

 

<モデルチェンジ前後での当社比較>

<新型MF2HDの他社比較:MPレベル>

 

<新型MF2HDの他社比較:EPレベル>

 

<新型MF2HDの研磨時間と表面光沢度/2F出力>

「研磨テープよりも硬い」と評された8インチFD並みとはいきませんでしたが、MF2ED(4MB)開発で評価されたR410カーボンを追加添加することにより、耐研磨(バーニッシュ)性が向上し、OEM先組立工場での表面加工の強弱によらず安定した(2F)高出力を得られるようになりました。もともと耐スティッキング対策用に添加したR410カーボンですが、高湿度下でのヘッド摺動を安定化させるなど副産物も多かったのです。

model :DFMHXD    
1 MAGNETIC POWDER 20 XD8219
2 ADDITIVES 0.3 DDP−2
3 ADDITIVES 3.0 U−4
4 ADDITIVES 1.0 R410
5 ADDITIVES 0.98 K.B
6      
7 BINDER 4.0 MR110
8 BINDER 8.6 MAU−5022
9 ADDITIVES 4.0 #2
10 ADDITIVES 0.5 YT−101
11 ADDITIVES 0.03 AL−M
12 ADDITIVES 0.4 TDS
13 ADDITIVES 0.2 BES
      1992.4.24 MTG-9665

 

2011年放映のTBSドラマ『下町ロケット』第1作・第5話、ロケット燃料調圧バルブ採用の品質試験で原因不明のトラブルが発生、徹夜の突貫で原因追求し遂に原因を突き止める…というくだりがありましたが、原因も含めて似たような経験を思い出します。

1993年当時のMF2HDクッキー最大の出荷先だった中国・珠海のフロッピーディスク組立工場の品質試験において完成品歩留まりが50%程度と、クッキー出荷前検査(95%)に遥かに及ばないと指摘を受け、問題解決のため1ヶ月程程出張したことがあります。連日組立工場のシステムチェックをしても歩留まりを低下させる原因が掴めず、そろそろ中華料理を体が受け付けなくなってきた頃、メディア表面を磨く工程を経た製品の表面に微細な点々を発見、そこからは直感※でしたが、研磨工程の動作に使うエアーに水分が混入(圧縮時に飽和水蒸気量を超えた)したと推測、コンプレッサー後に水分除去用フィルターを追加してドライエアーを確保するよう改修、完成品歩留まりを80%台後半まで改善させ客先に供給製品品質を証明できました。

※日立研究所出向時、超々高解像度電子顕微鏡に使う複数台の真空ポンプとドライエアー対策に妙に感心した記憶が残っており、直感的に微細な点々=”水滴”と推測しました。

2012.1追記

 

1990年〜メディア開発に一区切り出来た頃、フロッピーディスク技術開発・設計部門と工場管理部門間で効率的な情報共有が出来るようにと、仕様書、指図書等をMacintosh/HyperCardスタックでデータベース化し、昔々に使われて放置されいた工場の内線電話ケーブルを使ってLANネットワークを構築してみました。

結果的には、青焼き書面に判子を貰いに駆け回る昔ながらのやり方が改まることもなく、製品管理も山のような伝票を掻き分け手作業でこなすのが変わることはありませんでした。

まだ世間にLANなど普及していない時代、まだパソコンを使ってくれない世代相手にいろいろ工夫してみたものの、「パシコン用記録メディアを製造している会社」であっても、働く人達のほとんどはフツーにパソコン音痴な人達でしたから、データベースが社内で活用されることはほとんどありませんでした。

マルチメディア革命と言われるのは5年以上後、パソコンが使えない人は生き残れないと言われるIT革命で世間が騒ぐのは10年以上後になるまだまだ黎明期な時代でした。

2007.5追記

 

奇跡は一度だけしか作れない

次世代メディア開発

1991年、バリウムフェライトを使用したMF2ED:4MBを東芝が開発/市販開始したのを受け製品開発スタート、またメタルパウダーを使用したNEC案規格(MF2TD:13.3MB、MF2SD:28MB)キャノン案規格:20MBについて試作品提供を、後輩部員1名と自分がそれぞれを担当し先行開発着手。

FD Capacity 2HD
(2MB)
2ED
(4MB)
2TD
(13.3MB)
2SD
(28MB)
 Particle Co-iron oxide Ba-ferrite Metal Metal
 Hc(kA/m) 60 65 120 130
 Ms(em2/g) 70 60-70 135 150
 Linear Density(kbpi) 17.4 35 36.5 52.5
 Rotate Speed(rpm) 300 300 360 600
 Track Servo
 Data encoding
 Error-CorrectingCode
--
MFM
--
--
MFM
--
Sector
MFM
Sector
2-7RLL
 Thickness(μm) 1.0 2.0 1.0 0.5〜1.0
(W-coating)

MF2EDは、新たにバリウムフェライトに対する分散効果を顕著に発揮するグリコールエーテルのリン酸化物を採用、R410カーボン効果の確認後、これまでで最も短期開発で1992年商品化に移行しました。【特開平05-128492】磁気記録媒体

この頃になると、仕事の成果に自信も持てるようになりMF2ED発売時に初めてキャッチコピーを入れてみる余裕も出来ていました。「H.A.M(Hyper Advanced Milling)分散技術により、高出力の電磁変換特性と….」「H.A.M」とは、実際は自分と後輩部員2人の頭文字を使った言葉遊びでもありました。

MF2TDは、MF2ED開発の延長線上で単相塗布による磁性層形成でしたが、MF2SDでは下層にR425カーボン/潤滑層を形成後に高密度磁性層をW-Coatingする手法でメディア特性の改善にトライしておりました。
1994年、NEC、キャノン案規格の撤退に伴いメタルFD(MF2TD、MF2SD)は開発中止、以降商品化に向けたフロッピーディスクの新しい規格が提案されることなく新規製品開発業務は終了しました。 

—開発日記—
MF2ED、MF2TDはそれまでのFD開発要素を投入し早期の段階で基本目標を達成できましたが、もはや次世代メディアとなり得ない予感もあり、自分の「塗工屋」としての仕事は終わりだなと実感していました。MF2HDの熟成は完成の域に達し、以降は海外支援セールスやPCデザインワークの構築、国内向け製品開発等に手を染めていくことになります。それは現在に至る別の出発点になったのですが、それはまた別のお話に譲ります。

 

〜終焉〜

1993 -1994年工場全体のFD出荷数量とりわけ3.5インチMF2HDの出荷数量はピークを迎えていました。パソコンが一般に行き渡り始め、既にCD-ROMが登場していましたが、標準搭載されるまでには至っておらず、まだ一般的とは言い難かった時代、Windows95(当初MF2HD 24枚組で提供される)やMacintoshの大規模なシステムバージョンアップ(Syastem7 当初MF2HD 18枚組で提供される)の全世界的規模の動きがあったからです。

会社工場設立以来の絶頂時に、コロムビアグループの社内報には業績赤字から急反転の「奇跡の復活!」の文字が躍っていましたが、すでに会社の将来を危惧する出来事は起こっていました。工場全体の製品構成がフロッピーディスク、カセットテープ、DAT、磁気カードリボン、研磨テープ(8mmビデオは中止)というなか将来に伸びしろを期待できる製品がなかったのです。1995年以降の中期予算計画に意見を求められ「必ずFD出荷数は急下降します」と具申していましたが下方修正予算など作成できる状況でもなく工場上層部は微増予算を答申せざるを得ませんでした。

同時期、光ディスク研究開発を目的に日本コロムビア:川崎研究部に出向していた技術部員から基本研究段階の終了しプロトタイプを含む工場建設が具申されましたが、日本コロムビアと工場上層部との話し合いが持たれた結果、光ディスクの事業化案は消滅。最低でも20億円超を設備投資する体力がなかったのか、市場性を見通せなかったからか、とにかく次世代メディア事業化の可能性は消えました。

次世代記憶媒体の本命であるCD-ROMに特化した設備導入も具申していましたが却下され1994年以降リストラ、他社出向が実施され同時に新規事業開発推進の号令鳴るも取って代わる代案なく翌年には会社・工場閉鎖の方向で労使協議に入り、1996年3月、株式会社コロムビアマグネプロダクツは解散という形でその歴史を終えることになりました。

—後記:2005.9.10—
ハンディースティックメモリーが1GBになろうという時代、フロッピーディスクは標準搭載しないPCもある程、記録メディアとしては過去の遺物になろうとしています。まるで化石時代を見るような気がしますが、フロッピーディスクがPC市場に溢れていたのは、ほんの10年ほど前の出来事だったのだと改めて驚きます。

会社解散後、ジブンは日本コロムビアに移籍、WEB上に当時をあからさまに記すことがためらわれましたが、現在は会社を離れて当時の関係者の勧めもありここに当時の会社(コロムビアマグネプロダクツ)と自分の関わりを記述してみました。

入社後間もない新入社員を日立研究所に出向させたり、行く先もあいまいな海外に放り出してくれたり、とんでもない我がままを聞いてくれたり、波瀾万丈に過ごさせてくれた会社でした。仕事に関しては、誰よりも失敗していた気がします。答えを見つけるのは難しいですが、その廻りの失敗はたくさん見つかって、答えはその隣にいるはずだと確信するまで失敗しました。それは日立研究所に出向していた頃に学んだいちばんのことで、答えが見つからないと「自分は給料分働いているか?」と自問しながら通ったもんです。

「賢者2人に凡人5人と愚者3人、それで10人の会社はうまく廻る」とは誰に聞いたか忘れてしまいましたが、最後は会社に賢者が足りなかったのかもしれません。「もしも」は会社の舵取りをした人間の裁量を責めるにはあたらないお話ですが、そんな可能性もあったんだと当時を振り返るお話のひとつは…
1989年当時海外サポートで台湾Megamedia社を訪れた際、案内役をお願いした陳老人から「何故、コロムビアマグネはビデオテープを売ってくれなかったのか?」と聞かれた事があります。1980年初頭、世界のビデオ生産基地は台湾にあり中身のビデオテープの大半は日本から輸入していたそうです。自分の入社直前ビデオテープの開発が終了し製品化を検討していたとき、陳老人はビデオテープの供給要請に工場を訪問したことがあったそうです。しかし工場はビデオテープの製品化を中止、陳老人は代わりに株式会社ソニーケミカルからの供給を受け、当時台湾で稼働していた65%のビデオアッセンブル工場で使われたそうです。
もしあのときコロムビアマグネ工場がビデオテープを生産していたら、もし輸出重視で動いていたら、その後は違っていたかもしれません。そしてもしCD-ROM専用(情報メディア)部門が設置できていたら、もし光メディア事業を展開していたら、結果は違っていたかもしれませんが、もしフロッピーディスクのOEM輸出積極施策をとらなかったら、会社閉鎖はもっと早かったでしょうし、光メディア事業に新規参入し業界屈指の品質性能と言われたクラレ(MD)東ソー(MOディスク)が早々に撤退を余儀なくされたのを見るにつけ、コロムビアマグネがその後のメディア戦争に生き残れた可能性は低かったのではないでしょうか。

会社解散が決まってから自分の記録や資料、実験データ等の大半は、自分の手で焼却炉の中に放り入れて来ましたので、手元のフロッピーディスクに残っていたデータともはや危うい記憶を頼りにこの文章は成り立っています。(当時、資料の保全命令はなかったので…)指摘があれば変更があるやもしれません。予めご了承ください。

 


<株式会社コロムビアマグネプロダクツ:技術部 1989年>

 

解散から20年後のあとがき

2019年、かつて磁気メディアの開発エンジニアとして十数年お世話になったコロムビアマグネプロダクツ(株)解散から20年程が経ちます。解散後、ジブンが日本コロムビア(株)で毛色の変わった仕事を始めた頃、晩年、奇跡の復活劇当時に技術部長だった故・田沼さんとふとしたきっかけで再会した折、復活劇の舞台裏をあらためて尋ねられつらつら説明しながら作ったメモを「おもしろいからネットにあげてみたら」という田沼さんの後押しで最初の概略編「フロッピーディスクの作り方」を当時のブログ「Inmycab knowledge factory」に挙げたのが1998年頃、その後田沼さんの急死があって概略版のまましばらく放置状態でしたが、ジブンが会社勤めを離れ、解散から10年ほど経った2005年、既におぼろげだった記憶と僅かばかり残されたフロッピーディスクの記録データをもとに放置状態だった概略版を修正、書き足し編集後、ブログ「カングーとさんちゃんとつれあいと」に再掲載したのが本編「塗工屋家業奮闘記」です。

たまに日本コロムビア・旧川崎工場で磁気テープを扱っていた方や、コロムビアマグネプロダクツ(株)で働いておられた方からメール連絡をいただきますが、面識のない先輩諸氏の方も多く、お尋ねに関してはろくな返答も出来ず、ジブンは身の回りで起こった僅かばかりのコトしか知らないのだとあらためて恐縮するばかりです。

令和元年、消滅してしまったと思われている磁気メディアですが、超容量バックアップテープ(Ba-Fe)や一部のセキュリティーカード・テープとしての需要はまだ健在のようで、つい先日も当時の後輩エンジニアから会社は変わったものの塗布型磁気製品の仕事は継続している旨、連絡がありました。最後まで続けられる生業を得ることがますます難しくなっている現代にあってそれは幸せなことかもしれません。

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