生まれて生きて、そして戦うだけ!〜博多っ子純情〜20年ぶりに読み返してみた
合法的に完全無料な漫画サイト「マンガ図書館Z」で、郷里を思い出す懐かしい「博多っ子純情」を見つけて20年ぶりくらいに読み返してみました。TVの明るい青春ドラマと違ってジブンの実際の高校時代の周囲には、何かと生臭くウェットな恋愛事情も増え、同級生には卒業を待たずに出産する女子もいたり、やがて売春事件で我校が週刊文春にすっぱ抜かれた際は、「〇〇校や◯△校も関与しているのに、なぜ我校だけが週刊誌騒ぎになる?校長は何やってんだ!」と生徒会が学校側を糾弾する騒ぎにもなったりしたことも...。そして無駄に落ち込んで理不尽を味わってみたりと「博多っ子純情」のストーリーは、ジブン達のリアルに重なることも多くて、急過ぎたオトナの階段〜青春の蹉跌も過ぎてしまえばおもしろおかしい笑い話になっております。
博多っ子純情第九巻:コペルニクス的転換とは...
https://www.mangaz.com/book/detail/200049
生まれて生きて、そして戦うだけ!
映画「君たちはどう生きるか」は大ヒットした割に賛否両論、そこから何を学べるのか感じとるべきなのかは不確かな投げ掛けのようにも...。ひるがえって明暗深いことが多かった分、どことなく喜怒哀楽に無縁でいたかった青春時代だったジブンには、一貫して不遇を「誰かのせい」「何かのせい」にしても何も解決しない、馬鹿らしいだけという想いというか割り切りがあって、それはある種トラウマ回避な情動だったような気がします。それでも「人生に意味は無い。生まれて生きて死ぬだけ」ではなんとも味気ない想いがありましたから「博多っ子純情」の作中に「生まれて生きて、そして戦うだけ!」を見つけたときは我が事のように大層頷いては噛み締めたモンです。
https://vw.mangaz.com/virgo/view/200059/i:27#
コスパやタイパばかりが闊歩し「とにかく効率よく金儲けて、投資で幸せな人生設計」「人生100年時代は眼を背けられない現実」と宣うオトナの喧伝飛び交うこの時代にあって、若いヒト達に映画「君たちはどう生きるか」は果たしてどう写ったのだろう?