博多にわか〜嘘話を楽しむのぼせモン〜博多弁はもともとそんな背景を了解して話される言葉です

馬出(まえだし:現在の福岡県福岡市博多区内)生まれ、中洲川端、梅光園で言葉を学んだジブンにも博多モンのDNAは濃い....のかなぁ。昔の爺さん達は「博多商人と福岡町人、博多と福岡は別モン」と言ってましたが、薄まったとは言えどんたくと山笠が走る限り博多モンのDNAは受け継がれると思っています。そして今年もゴールデンウィーク中、日本でもっともにぎわうどんたくが始まります。

 

どんたくの一角で演じられる「博多にわか」の紀元諸説、公式解説は別に譲るとして、ジブンの遠い記憶によるとですよ、もともとそれは博多の庶民のなかにあった「即興の嘘話を楽しむ」文化に根ざしたものだと思います。

普段から「嘘話を楽しむ」人達の感覚は、なにげない会話から「にわかに嘘話のスイッチが入る瞬間」を見逃しません。嘘話に上手に乗っかって聞いてくれるヒト、嘘話に加担してさらに膨らませるヒト、嘘話の出来を探ろうとちゃちゃを入れてくるヒト、スイッチの切り替わりに遅れて気づいて狼狽するヒト、その場でいろんな役割を演じる阿吽の呼吸が出来上がります。

そんな生活では嘘とホントの境がみかけ上はあいまいです。あいまいだから嘘を見抜く=ホントを察する事が前提にある、といういたちごっこも生まれます。この「あいまい」はホントも嘘もないまぜに隠す言葉遊びのようなもので、言葉を濁したり裏切ったりする「あいまいさ」とは無縁です。更に言うなら「大事にしているものが通じているなら、嘘とホントの言葉尻にとらわれる必要さえない」がごとき「ののしりあい」さえ日常会話に多く登場します。博多弁はもともとそんな背景を了解して話される言葉です。

(続く)