原発問題は「合理的である」というだけでは解決しない〜取り返せないモノを賭けるわけにはいかないヒトもいる

原発再稼働問題、4号炉崩落危機疑惑、そして今週あたりは、国会事故調の首謀者(?)達への尋問聴取、原発問題は収束せずに、世間的にはもやもや融解しはじめているようにも見えます。

原発利権に群がるヒト達の強情以外にも「原発いいんじゃない」という賢いヒト達は大勢います。合理的にリスクを勘定すれば生きてる間に不幸な目に遭う確率はおよそ目を釣り上げて叫びまくる程のものではないし、それよりも脱原発なんかで経済的な混乱が身に及ぶことの方が遙かに現実的な脅威、だと考えるヒト達です。

あの人検索SPYSEE:池田信夫の相関図

そんな言論人を自称する代表格が池田信夫というヒト。本人は原発推進派のレッテルを貼られるのに憤慨しているのだけれど「原発事故のリスクをどう「割り切る」か」と言い出した時点で”レッテル”をワッペン代わりに胸に押し当ててるようなもんです。

池田信夫というヒト、合理性が大好きという人柄は、ジブンもおおよそ嫌いではありません。ただエモーショナルな領域には無頓着で合理性に反するとなれば「脱原発というキヨキココロ」ということも言い出す底意地の悪さも見え隠れさせてしまうヒトでもあります。

著書「原発「危険神話」の崩壊」も仕事の行き帰りの電車のユラレルお供に読ませていただきました。筋は通っているのですが、そこかしこで引用される根拠が「不確か」とも言われている技術的見解・医学的見解だったり、モノの尺度が大きく振りかぶった社会派、みたいなところにどうにも馴染めなさを感じます。(エラソウなモノ言いで恐縮です)

「脱原発を選択しないヒトの賢いモノ言い」というのはおおよそ池田信夫というヒトの筋のとおし方=「合理的である」をバックボーンに据えてのことでしょう。しかしながら収束と呼ぶにほど遠い原発事故現場やその周辺地域は「取り返しがつかない」ありさまであり、現在進行形の脅威も含めて「終わってしまえない」不安を引きづるのが原発事故なんだとというのを目の当たりにすると...リスクの天秤に掛ける対象ではないと感じるヒトがいても不思議ではないです。

企業の経済活動への影響ばかりが声高に聞こえるので、いっそ一極集中の原子力経済特区を作ってみたらいいのに、とか不謹慎な想像をしたりしますが、いまや日本全土に平等にリスク分担された「原子力村」が存在することが逃げ場のない不安をリアルに感じさせます。